
毎年のお約束だが、年始につぶやいてる?
「今年は。。。」なんだよね。大きな変化もちろん良い方向での変化を望むのは皆同じなんだよね。
ただね、毎年同じように欲望だけ持っても変化につながらないのは、
毎年の行動にそんな変わりないからなんでは?
僕は今年で50歳を迎えますよ。そんな年の初めだからいつもの元旦とは違う行動から始めてみることにした。
まずは、4:30起きしてみたよ。
そしてこのブログを書き始めています。
今日から2026年が始まるね。
今年は、とにかく忙しくしたい。
ネガティブなことを考えて怯えてる暇なんてないくらい、
仕事がどんどん入ってくる一年にしたい。
そのためには、自分の持っているスキルで
お客さんや社会の欲求をどう満たせるか。
ここをちゃんと見極めることが大事だと思う。
「自分はこれができるから、欲しい人は集まってくるはず」
…なんて、戦略もなく待ってるだけじゃ現実は変わらない。
去年までの自分がまさにそうだった。
だから今年は、
去年の“よくなかった思考”や“潜在意識のクセ”を改革して、
仕事を頼みたくなる人になることを徹底していく。
そしてもう一つ大事なこと
社会のニーズを察知すること。
これが本当に大事だと最近しみじみ思う。
「自分はこれができる」
この視点だけで突っ走るのは危ない。
ちゃんと
“社会が今なにを求めているのか”
と照らし合わせる作業が必要なんだよね。
売れてる人、仕事を頼まれるアーティスト、
個人事業で食べてるクリエイターたちも、
みんなこの“すり合わせ”をやってる。
アート寄りの製品やサービスだって同じで、
戦略もなく「好きだから作る」だけで進むのは、
正直ギャンブルに近い。
自分のスキル × 社会のニーズ
この掛け算ができて、はじめて仕事になる。
2026年はここを徹底していく
今の自分の状況は、過去の自分の行動の積み重ね。
だったら、これから未来を良くする行動を積み重ねていけば、
違う未来が訪れるはず。
自分の持ってるスキル、人脈、環境。
全部活かして、未来がよくなる行動を今日も積み重ねていこう。
衣装作りの公式ラインはこちら
僕の仕事は、とてもアナログな衣装づくり。
布の質感、縫い目の揺らぎ、手で作る不完全さ。
そこに「人が作るものの魅力」が宿ると信じてる。
もし、衣装づくりや“人の手で生まれる表現”に興味があれば、
ぜひこちらでつながってください。
制作の裏側や考えていることを、ゆるく発信しています。
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一人社長のゆる年始のつぶやき
毎年のお約束だが、年始につぶやいてる? 「今年は。。。」なんだよね。大きな変化もちろん良い方向での変化を望むのは皆同じなんだよね。 ただね、毎年同じように欲望だけ持っても変化につながらないのは、毎年の行動にそんな変わりないからなんでは? 僕は今年で50歳を迎えますよ。そんな年の初めだからいつもの元旦とは違う行動から始めてみることにした。 まずは、4:30起きしてみたよ。 そしてこのブログを書き始めています。 今日から2026年が始まるね。 今年は、とにかく忙しくしたい。 ネガティブなことを考えて怯えてる暇なんてないくらい、 仕事がどんどん入ってくる一年にしたい。 そのためには、自分の持っているスキルで お客さんや社会の欲求をどう満たせるか。 ここをちゃんと見極めることが大事だと思う。 「自分はこれができるから、欲しい人は集まってくるはず」 …なんて、戦略もなく待ってるだけじゃ現実は変わらない。 去年までの自分がまさにそうだった。 だから今年は、 去年の“よくなかった思考”や“潜在意識のクセ”を改革して、 仕事を頼みたくなる人になることを徹底していく。 そしてもう一つ大事なこと 社会のニーズを察知すること。 これが本当に大事だと最近しみじみ思う。 「自分はこれができる」 この視点だけで突っ走るのは危ない。 ちゃんと “社会が今なにを求めているのか” と照らし合わせる作業が必要なんだよね。 売れてる人、仕事を頼まれるアーティスト、 個人事業で食べてるクリエイターたちも、 みんなこの“すり合わせ”をやってる。 アート寄りの製品やサービスだって同じで、 戦略もなく「好きだから作る」だけで進むのは、 正直ギャンブルに近い。 自分のスキル × 社会のニーズ この掛け算ができて、はじめて仕事になる。 2026年はここを徹底していく 今の自分の状況は、過去の自分の行動の積み重ね。 だったら、これから未来を良くする行動を積み重ねていけば、 違う未来が訪れるはず。 自分の持ってるスキル、人脈、環境。 &nbs
ブログを書く意味を考える日にしよう
今日は、あらためて「ブログを書く意味」を考える日にしようと思った。 自分を知ってもらうため。 自分の仕事を欲しいと思う人に見つけてもらうため。 まずはそんな理由が浮かんだ。 でも、他の人はどんな理由でブログを書きはじめているのだろう。 承認欲求かもしれないし、記録かもしれないし、誰かの役に立ちたいという気持ちかもしれない。 僕自身は、何度もブログを書いてはやめて、また書いてはやめて…その繰り返しだった。 病院の待合室で気づいたこと 最近、長い時間を病院の待合室で過ごす日があった。 ふと周りを見渡すと、老若男女ほとんど全員がスマホの画面を見ていた。 何を見ているのかはわからない。 でも、少なくとも「何かを検索する」という行為は、誰もが日常的にしているはずだ。 その光景を見たとき、「ブログを書いてはやめていた自分の習慣、そろそろ改善すべきだ」と感じた。 ブログにも、ちゃんと“ニーズ”がある。 誰かが検索したとき、 誰かが困ったとき、 誰かが何かを知りたいと思ったとき、 そこに自分の言葉が届く可能性がある。 ブログは「誰かの検索に引っかかる自分」になる行為 ブログを書くということは、 インターネットの広い世界に「自分の声」を置いておくことだ。 それは、・自分の考えを整理する行為であり・未来の誰かに向けてメッセージを残す行為であり・自分の存在を“検索可能”にする行為でもある SNSのように流れて消えるものではなく、 ブログは積み重なっていく。 だからこそ、やめてしまうのはもったいない。 僕がブログを書く理由は、もっと増えていい 最初は「自分を知ってもらうため」だった。 でも今は、もう少し違う意味も見えてきた。 ブログを書くことは、 自分の考えを言葉にして、誰かの余白に届けるアート なのかもしれない。 言葉だけで世界を立ち上げる文学のように、 読む人の頭の中にそれぞれ違う景色が生まれる。 そんな表現ができる場所が、ブログだ。誰かの余白について前回ブログにまとめてみました。良ければ読んでみて下さい。 ぼくの仕事に興味あるかたはどうぞ 僕の、実際の仕事はとてもアナログです。 衣装づくりという、人間的な欠如や不完全さを抱えた営みの中で、 「人が作るものに何が魅力を持たせられるか」 を考えるのが好きなんです。 もし、衣装づくりや“人の手で生まれる表現”に興味があれば、ぜひこちらでつ
【脱・90年代ブーム】成熟社会が古着に求める新しい価値観とフューチャーされるビジネスの方向性
先日、成熟社会のビジネスについての気づきについて書いていた。今回は続編というか、 自分の考えの整理でもある。我々アラフィフが最近は街で「古着屋」の店舗をよく目にするようになったのは、当時90年台の古着ブームを知る上で、 なんか懐かしいなとか。そう思えるようでもあるが、実は内容は少し違っている。 先日の記事はこちら 古着ブームの再燃が示す、時代の転換点 最近は、ファッション業界では古着(セカンドハンド)市場の成長が顕著です。 単なる「トレンド」として片付けられがちですが、この現象を成熟した市場・社会構造の変化」から 生まれる、必然的な消費行動として捉えるべきだと思う。 特に、90年代に巻き起こった古着ブームを知る僕らにとって、現在の注目が当時と「似て非なるもの」であることに気づくはずです。 本記事では、90年代の古着ブームとの比較を通して、成熟社会が真に求める新しい価値観を紐解き、未来のビジネスの方向性を探ります。 90年代ブーム vs. 現代の注目:消費動機の決定的な違い 90年代は、「本物(ヴィンテージ)」への熱狂と、それを見極めるマニアックな知識、そして財力が必要な側面が強くありました。 僕の経験では、札幌の某有名古着店のとても高い位置に値札ではなく「ASK」というラベルのついたリーバイスを思い出します。 触らせてもらう勇気もない小僧でしたので、当時はそのお店に行くたびに下から見上げて憧れるものでしたよね。 しかし、現代の古着の注目は、「誰でも手軽に」、かつ「倫理的に」ファッションを楽しむためのツールへと変質しています。 項目 1990年代の古着ブーム 現在の古着の注目(2020年代) 主な動機 憧れ、希少性、マニアックな知識 個性、倫理性(サステナビリティ)、流動性 重視された価値 ヴィンテージ(古い=価値)、高価格帯 サステナビリティ、ストーリー、価格の合理性 市場への態度 投機的・専門的 循環的・ライフスタイル化 成熟社会が古着に求める3つの新しい価値 現代の消費者が古着を選ぶ背後には、「モノの不足」が解消された成熟社会特有の、新しい欲求と合理性があります。 倫理的価値の追求と「罪悪感のない消費」 現代の消費者は、ファッション産業が環境に与える負荷を認識しています。古着を選ぶことは、新たな資源を消費せず、既存の寿命を延ばす「倫理的な解決策」です。 これは
成熟社会でフューチャーされる活動・ビジネスの方向性
成長社会が「不足・不満・不便の解消」のためにモノを大量生産・大量消費する時代だったのに対し、 成熟社会では人々の価値観が 「物質的な豊かさ」から「精神的な豊かさ」 へと転換しています。 この変化は、ビジネスと人間の活動の両方に大きな影響を与えています。 「モノ」から「価値・体験・プロセス」への転換 社会課題の解決型ビジネス 人間の主体的活動と「余白」の重要性 欧米の成熟社会の動向 欧米の成熟社会の実例 サステナブルファッション:レンタルやリセール(再販売)、アップサイクルが一般化し、循環型で楽しむことが社会的に評価されている。 エシカル消費:消費者が「自分の選択が社会や環境にどう影響するか」を強く意識。フェアトレードや環境負荷の少ない商品を選ぶことが当たり前になっています ギグエコノミーと柔軟な働き方:欧米ではフリーランスや副業が定着し、個人のスキルを活かす働き方を支援するプラットフォームが発展しています 日本の身近な成熟社会の実例 ブランド・コミュニティ:日本でも「モノを買う」より「そのブランドを通じて人とつながる」ことが価値になってきています。例えばアウトドアブランドのファンコミュニティや、古着リメイクの愛好者グループ。 地域の余白を活かす活動:練馬区など自治体の総合計画では「量から質へ」の転換を掲げ、地域の祭りやボランティア活動が成熟社会の象徴として位置づけられています。 課題克服先進国としての日本:高齢化や人口減少を抱えながらも、介護・子育て支援や教育リスキリングなどの分野で新しいモデルを模索しています。 終わりに ここまで読んでいただきありがとうございます。 かつての「モノを創造する楽しさ」を知っているからこそ、これからは「価値や関係性を創造する楽しさ」に目を向けてみたい。 「選ばれる理由」は、製品のスペックではなく、共感や参加したいという人間の根源的な欲求に結びついているのかもしれません。 コミュニティーに参加しませんか このテーマに共感してくださった方、もっと深く話してみたい方は、ぜひ僕のコミュニティへ。 公式LINEからつながっていただければ、日々の活動や考えを共有できます。 お友達LINE Follow me! @defhiro_stf
アラフィフになって考える「服を選ぶ意味」
師走ですね。今週は仕事スケジュール優先でランニングを我慢している僕。 昨夜、寝る前に今日着る服を用意して、今その服を着ています。 今日はちょっといつもと違う場所に行く予定があるから。 「TPOを考えて服を選ぶ」——よく耳にする言葉です。 たしかに、寝巻きで初対面の人に商談しても信用されない。 これさえ着ていれば間違いない、という服があれば僕らのような衣類に関わる人間の仕事は必要ないのかもしれません。 選ぶことが難しい時代 30代、40代は毎日がむしゃらに働き、子育てをして、服を選ぶ時間すら勿体ないと感じていた。 でもアラフィフを迎え、少し時間的な余裕ができた今。 「ちょっと良い感じのおじさんに見せる服を着てみようかな」と思うようになった。 ただ、そもそもどこで何を買って揃えたら良いのか。 選ぶこと自体がつまらなくなっている?面倒になっている時代に、どうやって自分らしい服を見つければいいのか。 そもそも、情報もありすぎて正解がわからないともいえる。 凝り固まってる自分の服装に対してのルールがあったりしますよね。 ファッション診断・オーダー・リメイクという選択肢 そこで僕が提案したいのは、ファッション診断やオーダー、リメイクファッションという選択肢です。 服を選ぶことが難しい時代だからこそ、選ぶ意味を再構築するサービスが必要なのだと思います。 まとめ アラフィフになって、服を選ぶことの意味をもう一度問い直す。 無難で効率的な服も良いけれど、ちょっと良い感じのおじさんに見せる服を選ぶのもまた楽しい。 そのために、診断・オーダー・リメイクという方法で「選ぶ価値」を取り戻していきたい。 ご相談はこちらから 「自分に似合う服を知りたい」 「一点モノをオーダーしてみたい」 「愛着ある服をリメイクしたい」 そんな方は、ぜひ気軽につながってください。 LINEで相談する Follow me! @defhiro_stf
2025年の感謝を込めて。出会ってくださった皆様へ
2025年もいよいよ終わりを迎えようとしています。 今年一年、私の衣装づくりを信じてご依頼くださった皆さまへ、改めて深く感謝をお伝えしたく、この長いメッセージを書いています。 私は、衣装を作るという仕事を通して、お客様の人生の一部に触れています。 舞台に立つ瞬間、リンクに立つ瞬間、誰かに見てもらう瞬間。その大切な場面に寄り添う一着を任せていただけることは、当たり前ではありません。 むしろ、私にとっては奇跡のようなご縁です。 今年も継続してご依頼くださったお客様、そして新しく出会ってくださったお客様。どちらの存在も、私の仕事を支え、広げ、深めてくださいました。 皆さまが「洋さんにお願いしたい」と言ってくださることが、どれほど私の背中を押してくれているか、言葉では言い尽くせません。 私は、効率や大量生産とは少し距離のある世界で仕事をしています。 時間も手間もかかるし、時には自分の未熟さに悔しさを覚えることもあります。 それでも、私がこの道を選び続けているのは、「代わりの効く仕事ではない」と信じているからです。 お客様の想い、身体のライン、表現したい世界観。それらを丁寧に受け取り、形にしていくプロセスは、誰かが代わりにやれば同じになるものではありません。 そして私は、ただ期待に応えるだけでなく、良い意味でその期待を超えたいと思っています。 「こんな表現があったのか」 「自分では思いつかなかったけれど、すごくしっくりくる」 そんな驚きや喜びを届けられるような、美しいものづくりを追求していきたいのです。 もちろん、私はまだまだ発展途上です。技術も表現も、もっと磨ける。もっと深められる。 そう感じる場面が、今年もたくさんありました。けれど、その“未完成さ”こそが、私の原動力でもあります。 完成してしまったら、成長は止まってしまう。だからこそ、これからも学び続け、挑戦し続け、皆さまにより良い作品を届けられるよう努力してまいります。 2025年、皆さまからいただいたご依頼、ご相談、ご感想、そして温かい応援の言葉。そのすべてが、私の仕事を支えてくれました。 心から感謝しています。 来年も、どうか変わらずお付き合いいただければ幸いです。 皆さまの大切な瞬間に寄り添える一着を、誠実に、丁寧に、心を込めてお作り
値付けとパーパス経営は、同じ根から生まれている
子どものフィギュアスケート衣装をつくる中で、ずっと悩み続けてきたテーマがあります。 それは「値付け」です。 相場に合わせるべきなのか。 お客さまの事情に寄り添うべきなのか。 技術や経験に見合った価格を貫くべきなのか。 この問いは、僕にとって単なる“お金の問題”ではありませんでした。 最近になって、ようやく気づいたことがあります。 値付けは、パーパス(存在意義)と深く結びついている。 むしろ、パーパスをもっとも正直に映し出す鏡だということ。 パーパス経営とは「何のために存在するか」を決めること 以前、僕は自分の会社のパーパスについてブログを書きました。 衣装づくりを通して、何を守り、何を未来に渡したいのか。 その軸を言語化したものです。 これが、僕のToecrosでのパーパスです。 値付けは、そのパーパスを“社会に翻訳する行為 パーパスが理念だとしたら、 値付けはその理念を現実に落とし込むための“実装”です。 どれだけ美しい言葉を掲げても、 値付けがそれに反していたら、パーパスは崩れてしまう。 だからこそ、 値付けはパーパスに対する覚悟の表明なんです。 技術を守るためには、適正価格が必要 僕の衣装づくりは、ただ縫うだけではありません。 こうした“考える時間”も、作品の一部です。 そして、 この思考の深さは、効率化できない。 大量生産にも置き換えられない。 だから、適正価格は技術を守るための最低条件。 パーパスを守るための必然でもあります。 時代に逆行しても、守るべき価値がある 今は効率や安さが求められる時代です。 手仕事に時間をかけることは、時代錯誤に見えるかもしれない。 でも、僕はそれでいいと思っています。 なぜなら、 衣装づくりは“未来へ繋ぐ技術”であり、 子どもたちの表現を支える“芸術”だから。 パーパスを守るためには、 時代に逆らう勇気も必要です。 理解してくれるお客さまがいることが、何よりの支え ありがたいことに、 僕の価値観を理解してくださるお客さまがいます。 「この衣装じゃなきゃダメなんです」 「この子のために、ここまで考えてくれてありがとう」 そんな言葉をいただくたびに、パーパスと値付けが一本の線でつながる感覚があります。 僕は、ただ衣装をつくっているのではなく、 その子の人生の一瞬を形にしている。 その事実が、値付けの迷いを少しずつ溶かしてくれます
スポーツであり、芸術である。その衣装をつくる覚悟
子どものフィギュアスケート衣装をつくるようになってから、ずっと悩み続けていることがあります。 それは“値付け”です。 相場に合わせればいいのか。 お客さまの事情に寄り添って柔軟に変えるべきなのか。 それとも、技術や経験に見合った価格を貫くべきなのか。 正直に言えば、いまだに迷う瞬間はあります。 でも、ひとつだけ確信していることがあるんです。 僕が積み重ねてきた技術と、唯一の衣装を生み出す意味は、数字だけでは測れないということ。 技術には“時間”が宿っている 衣装をつくるとき、実際に手を動かしている時間だけが価値ではありません。 こうした“考える時間”も、作品の一部です。 僕は感情を商品に直接のせることはしません。 でも、作品の中にだけは、どうしても感情が滲みます。 それは避けられないし、避けるべきではないとも思っています。 「時代錯誤」と言われても、守りたい価値がある 今の日本は物価高の時代で、安さや効率が求められがちです。 そんな中で、手仕事に時間をかけ、唯一の衣装をつくることは、 「時代に逆行している」と思われるかもしれません。 でも、僕はそれでもいいと思っています。 なぜなら、 衣装づくりは“後世に繋ぐ技術”であり、“センスの継承”でもあるから。 そして何より、フィギュアスケートはスポーツでありながら、 総合芸術だと感じているからです。 選手が衣装と一体になった瞬間、 その子の世界がリンクの上に立ち上がる。 その一瞬のために、僕は針を持っています。 理解してくれるお客さまへの感謝 ありがたいことに、 僕の価値観や技術の意味を理解してくださるお客さまがいます。 「この衣装じゃなきゃダメなんです」 「この子のために、ここまで考えてくれてありがとう」 そんな言葉をいただくたびに、 値付けの迷いが少しだけ晴れます。 僕の仕事は、ただの衣装制作ではなく、 その子の人生の一部を形にすることなんだと気づかされるから。 値付けは、作品の外側にある数字ではない 値段は、単なる金額ではなく、 作品の意味を守るための境界線だと思っています。 安くすればいい
