本、映画

夢なんてかなえるな

「夢をかなえるゾウ4」読んでみたでしょうか? 読んだことない人でもこの名くらい聞いたことないですかね? 1~3までで累計400万部売れているこのシリーズです。 私も若かりし日これを読んで夢に燃える20代を過ごしたものです。 「夢をかなえるゾウ」と言いますと毎回どこにでもいるような平凡主人公が、ゾウの姿をした関西弁のハチャメチャな神様、 「ガネーシャ」 と、一緒に夢をかなえていくというストーリーの笑えて泣けてためになる 自己啓発エンタメ小説です。 今回の主人公も毎度のとおり平凡な人です。 奥さんと幼い娘と3人で仲良く暮らしている会社員の男性なんですけど、 ただ、一つだけ今までのシリーズと決定的に違うポイントがあります。 なんと、主人公が余命90日と告げられてしまう「死」に、直面するというポイントです。 なので今回の「夢をかなえるゾウ4」は、夢だけじゃなくて我々にも必ず訪れる「死」というのも大きなテーマになっています。 それで、早速ですが今回のこの本の結論から申しますけど。 「夢なんて叶えるな。」です。 で、ここまで読んでこられて「なんじゃそれ?」だと思うと思いますが。 夢をかなえるゾウなのに「夢なんて叶えるな。」っておかしいでしょ!と。 どういうこと?と思われるかもしれません。 ですが、今回のシリーズは「夢の手放し方」 がテーマになってくるんです。 多くの人は「夢」「成功」にたいして、ひじょうにキラキラして輝かしいものって印象を持たれているかも知れません。 でもそれはポジティブな側面を切り取るメディアに洗脳されているだけかもしれません。 大きな夢を叶えることこそだけが正義。 そんな資本主義、弱肉強食の競争社会という宗教にどっぷりつかりすぎているのかも知れません。 「夢を叶える」とはポジティブな面もあれば、一方でネガティブな一面もある。 なんでかというと、「夢を叶える」とか「成功する」とは、言い換えると、 「今の自分を否定して、変化する。」 といことだからです。 今の自分を否定することによって、大きな成果を成功を手にした人は良いでしょう。 そういう人は、自分の成功体験を元に「今すぐ成功せよ。」「今の自分を否定せよ。」と、 声高に主張してくるわけです。 ですが、運悪く、タイミング悪く何の成果も手にできずに、ただただ自分を否定するだけになっている人がこの世の中には、一定数

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デニムにも色々ありますが

デニムにも色々ありますが。 最近はジーンズ離れしているとの情報もあります。そうですよね。30代後半くらいからは、 私自身含め体型の変化は否めない訳で。 ジーンズが似合うというか、カッコよく履けているように見えるには、どうすれば良いか。 そもそもジーンズは、もともとは、アメリカからやってきたもの。 欧米人の体型に合うように元々は作られ進化してファッションに取り入れられるようになつてきたもの。 だから、正直言って日本人、アジア人の体型には合わないと思います。 一部例外なスタイルが欧米人の様に足が細くて長い人は除きますけどね。 20代の頃はまだ、筋肉もあるせいで下半身は割と引き締まっているのもあり、ジーンズを履いて、 履きこなせていた感は無いでしょうか。ローライズの腰骨あたりで止まる形状のもありましたよね。 昔履いていたジーンズ、もう一度履けますか?って、 色々な意味で履け無いんじゃ無いですか。サイズの問題も去ることながら。 サイズのことは、問題になら無い方もいるとは思うんですけど、 シルエットとかディテールのあり方って常に進化しているものなんです。 古き良きヴィンテージのものが好き。 そういうものが流行を作るという場合もあるんですけど、 全く同じ状態で、いわゆるコピーでできてくる訳はないんですね。 今にアップデートされ再び登場するから、懐かしさもあるけど、新しさがあるものなんです。 不変の素材でも、今をかたちにする作業がそもそも僕らの仕事でもあります。 僕の作る服にある背景が、とても重要でそれを理解して共感して貰えて利用してもらえたら幸いだと思っています。 ちょっと上から目線な発言で恐縮なんですけど。 では、どんなのが今なのかな?と。 大人は大人なりの身体の美しさを見せる術があると思ってます。 「見せるところは、見せて隠すところは隠す」 これの意味は、ジーンズに限らず他のアイテムにしても同じようなことなんですけど、 今回は、ボトムなんでボトムの見方で書かせていただきます。 明日が、細くて長いように見える。かつ女性っぽい曲線を感じられればそれは、男性の目線にもよく見えるものなんです。 スキニージーンズが出てからは、出来るだけ身体にフィットさせ、細くて長い。お尻の綺麗な丸みが、男性から見ても美しいものです。 ですが、大人の女性はこうあると良いという僕の見方で、デニムにハサ

ライフスタイル

8時間労働は必要なのか?

お盆休みいかがでしたか? 長い人では9連休の人もいたのではないでしょうか? そもそも、労働時間は8時間って常識とかいつから言われるようになったんでしょうね。 僕に関しては、今は個人事業主として生計を立てれるようになって3年になるところなので、 こういった社会的にはわりと暗黙に常識になっていることを疑問に思ったりすることも増えてきました。 ましてや今の社会の状況を見ても、ネットとかに上がってくるニュースなんか見ても。 で調べた見たところ8時間労働=文化みたいなのが生まれたのは、 日本では100年前に導入されたそう。 かつては、私も若かりしころは縫製工場で働いた期間もありました。 学校みたいにチャイムが鳴るんですよね。 始業時間、昼休み、3時休憩、就業の4回。有線放送のJ-POPを遮り、時間に鳴ったら鳴るんですね。 ミシンの騒音、アイロンのバキュームの騒音でJ-POPは 殆ど聞こえないんですけど、チャイムは何故か、よく耳に入るんですよね。 8時間労働が文化になってから100年 すごい話だと思いませんか? 100年前と僕らの労働時間は変わっていない。 最近では、8時間労働長くないか?という考えを持つ人もチラホラ聞きます。 今まで考えることもなかったのですが、言われてみればそういう期間、そういう日もあるかもね。ですよね? 自分も雇用されていたころは、疑う由もなくただただ会社にいました。 いないと、欠勤か中抜けの扱いになるんですもの。。 今はそういう立場でもないので、隙間時間はどうしたら次のステップアップに活かせるのか?考えるようになれましたが。 ちょっと、自分のことばかり語ってしまいましたが、本題にもどりまして、 労働時間は100年変わっていないと、そもそも100年前の労働の内容と今の労働の内容は全然違うものだいうのは、誰しも知っていますよね。 100年前だと、雇用者は単純労働が殆どですよね。 雇用主に指示されたことを指示されたようにただただひらすらこなす。 例えばですけど、製糸工場みたいなところで糸を紡ぎ続けるみたいな。今や途上国の工場とか、日本でも僅かですけど田舎でひっそり営んでいる部品製造の工場など。 肉体的には非常に重労働になるものも中にありますよね。 ですが、殆どの労働は、今はそうではない。自分流にアレンジ、工夫を考えてこなさなきゃならないレベルの高い仕事が求め

40代メンズファッション

モテ服ってある?

結論から言いますが、人間の好みは千差万別。100%なモテ服は存在しません。 あくまで個人の主観の問題ですので、こればかりは100%にはなりませんが、 そもそもです。おしゃれをする意味って意中の人に好意に思ってもらえるようにって目的が一つにあったりするじゃないですか。 例えば、意中の異性とのはじめての食事に出かける日に彼女の好みに合う服装にして出かけたい。 ですが、これってノーヒントですよね。 こんな服を着てる人が好き。 そんな情報、つきあってそこそこの時間が過ぎていって初めて得られる情報ですからね。 評価70点の万人ウケするモテ服をねらう モテ服について語る前に女性は男性に何を求めているんですか? これを考えてみましょう。長い人類の歴史から考えれば明らかなことなんですね。じつは。 根本的には2つです。 大人っぽさ 清潔感 なぜ、大人っぽさがモテるのか。太古の昔であればどういう男性がモテたと思いますか。当たり前ですけど、自分と子供守ってくれる、狩りをして獲物をもってきてくれて自分たちを守ってくれる男性がモテるわけです。 あたりまえですね。 これは差別でもなんでもなくて、身体上の問題ですけど女性ってのは我々男性よりも弱い存在なんですね。 基本的には男性は女性を守らなくてはならない。家族を守らなくてはならない。 だからこそ、守ってくれる男性を好むってのは生物としてあたりまえ。子孫を遺すうえで、自分の生命をのこすうえであたりまえ。 僕ら男性よりも弱い体をもっているから、守ってくれる男性を頼るわけですね。 原始時代だったら、自分に食糧をもってきてくれる、子供を守ってくれる力強さが男性には求められてきたんですね。 ですが、現代において力強さの象徴→筋肉 これは、女性を守るためのもの 女性を守る=筋肉 これには、なっていないんです。 まぁ、街でヤンキーにからまれて力でねじ伏せて「助けてくれて、ありがとう♡」 なんてB級アニメみたいな場面なんてそうあるものでもない。 現代において男性の力を示すものとは、差別の意味とかでないので誤解はしないでほしいんですが、 「社会的地位」 反対に太古の昔は「筋肉」 この理論って結構リアルじゃないですかね? 知識も少ない子供の頃と比較して、たとえばクラス会とかに呼ばれて、子供のころは筋肉が人より発達していた子は運動が得意だったりしたじゃないですか。

ライフスタイル

「忙しさ」は、あまりよろしくない

今日は雨ですね。雨。 事務所の窓を閉めておくのを昨夜忘れていて、今朝開いていた窓の周りが大変なことになっていました。。。 朝から雑巾かけです。。。 盆休みに入ろうかと思うこのスケジュールの多い週末に。。。 って、感じなんですけど。 皆さんも多忙ですよね。 そもそも、この忙しいスケジュールで過ごすという状態はあまりよろしくないと。 忙しさについて考え直してみよう ただ忙しく働いている人というのは、努力していないよ。と聞きます。 サラリーマンに限らず自営業の人にも当てはまることになるんですけど。 ですが、朝起きてずーっと仕事したりしてるのが幸せだなと感じるのであれば、この話はあまり刺さらない話なのかもしれませんけど。 例えばですけどパン屋さんの例で、 朝早く4時とかに起きて仕込みして、その日売り切れるかどうかも分からないままですが日々繰り返すわけですね。 しかも、今はコロナの影響もあるんで状況は良いものではないですよね。 突発的な収入の変化ですよ。 ですが、日々の作業の内容は変わることなく働けど働けどです。 このまま続けていくのもそろそろ。。。なことも少なからずパン屋に限らず飲食店の経営もされている友人にも聞きます。 だがしかしです。これは、仕方がないというしかない状況であるかもしれませんよね。 誰が予測できたか、このウィルス騒ぎですから。 ですが経営ってこういうことなんですよね。雇われている身分ではない限り、社会の変化に思いっきり影響を受けるんですよ。 ですが、盤石な経営ってそもそもないんですよね。経営のモデルは、常に変化していくべきものではないかと思うんです。 今、あるものは時間とともに陳腐化していく。 陳腐化してなくなるかと思われたものが、このウィルス騒ぎで急に需要が戻って伸びていく。という例もあるんですよね。 自分の関わりのある縫製に関して言うと、コロナ前にミシンを買う人は年々減少傾向にあって、今はもう小さな店舗でどうにかやられているミシン屋とかでした。 ですが、このコロナ騒ぎ→マスク需要→自作のマスクにミシン必要→ミシン面白いんで、もう少しプロモデルが欲しい。 まぁ、こんな流れでミシンの需要と供給のバランスが崩れて急にミシン不足になっていると聞きます。 他の業種でも、こういったコロナ前とコロナ後の需要と供給のバランスが変化してしまっているところあると思います

本、映画

仕事原論読みました

正確には二回目なんで読み直ししました。テレビでのコメントもなるほどなぁ~。と日々関心させてくれます。林先生です。 個人的にはファンかも知れません。これ以外にも数冊著書を読ませていただいています。 僕のような凡人は、先生と呼ばれるような賢人の知恵や思想、全ては理解して汲み取れるものではないとは思いますけど、彼らの著書から何か自分にも生かせるアイディアはないものかな?と。 「好き」を仕事にすることの理解 そもそも、この響きって若いころからどこかで誰かがいつもお説教みたく言っていたことでないでしょうか? 少なからず自分も20代のころには、飲み屋とかで諸先輩やおやじくらいの年齢のマスターに言われた経験はあります。 ですが、この著書に出会って少しこの意味の捉え方を変えてみるのも悪くはない。というか、年齢も年齢だし自分なりにも仕事に対して思想、原理がないことには意味も分からず与えられた仕事を淡々とこなしていく日々になっていくことでしょうね。 気づけて良かったと。 今の、この社会の状況だから仕事があるだけ幸せです。的に捉えなくてはならないというのも一理ありますけど。 そもそも、自分が楽しんでなければ仕事には内容がお客にには響かないと思っています。 この本から学んだこと この本の冒頭にある謹言です。 「うまくいく仕事が、天職。」 って、すごく良い言葉だなって思いました。 先にも述べましたが、「好きを仕事にする」って。 僕自身も好きを仕事にすることを目指して今があるんで、その風潮を煽る立場の人間になるのかも知れません。ですが、 好き嫌いに拘りすぎると仕事が与えられるということに関して感謝を得られない場合もなくはないと思うんですよね。 好きな仕事の中にも嫌いな部分って少なからずあると思うんですよね。 対して嫌いな仕事の中にも良い部分ってあると思うんです。 だから、好き嫌いに拘り過ぎなくても良いんじゃないかな?って思えるんですよね。 嫌いかなって思っていた仕事でも、やってみたらこなせてた。というのであれば、その仕事に自分の適性があるということになりますよね。 世の中、周りの人に求められていることになると思うんですよ。 なので、積極的に好きな仕事、好きな仕事って思わないようにしてみるようにしているんですよ。 なので、嫌だなーって思わないようにするようにしてるんです。 嫌だなーって思いなが

ライフスタイル

人は悲観的なことが好き

コロナウィルスの解決の出口が中々見えてこないままですけど。個人的な考えではありますけど。というか、マスメディアの報道がストレスに感じてしまう日も少なからずあるのですけど、この問題に対しての報道。 感染者数は毎日、どの時間にも報道されますよね。不安を煽るように。 「今日の感染者数は〇〇〇人」 確かに警戒は緩めてはいけないので、悪いことではないと思いますが、正常に判断をする上ではちょっと情報量が足りない気しません? 感染者数は日々更新され、僕らはその中身を知ることが今となっては重要なんでないでしょうかね。 うち、重傷者は〇〇人、軽傷者は〇〇人。 科学的にこのウィルスは高齢者にダメージを強く与えるということなんで、感染者数のうち高齢者の締める割合は〇〇%などとね。 ただ最近は若年層の感染が増えつつあるとの報道も聞きます。 若年層と我々中年層が、どうにか経済をまわしてかなくてはならない空気感のこの頃ですが。 人間の命を守ることは当然大事なことではあります。 僕個人の考えとしては、経済はどうにか動かしていかなければならないと考える派です。 マスク着用だとか手を洗うとか、ソーシャルディスタンスとか新しい社会のルールができて混乱する部分も少なからずありますけど、小さな会社の小さな仕事かもしれませんが、お客とのコミュニティは、守ってきたいと考える派です。 過度に自粛するのではだめ。 盲目的に自粛していくのでは、もうすでに仕事の消滅を意味するでしょう。 なのでここで重要なのは、感染者数の数ではなくその中身ですよね。このごろはようやく中身のデータもマスメディアでも報道されるようになりつつありますけど。 少し前は、単に「感染者数は増えているので皆さま自粛して、ステイホームしてください。」 マスメディアはどこもこのような報道一辺倒でしたよね。 なぜ、こういった報道一辺倒なのかはマスメディアが悪いと思うかも知れませんよね。 ですが、本当に悪いのは人々の意識。 人間って悲観論が好きなんですね。 違和感あるように聞こえますが、これは本能なんですね。 ちょっと悲観的に捉えていかないと、これからの人生生きていくのに、あんまり楽観的だとすぐ死んでしまいそうじゃないですか。 この先になんか落とし穴があるかも?ってくらいの意識で生きてた方が長く生きてけそうじゃないです? 落とし穴に落ちにくい的な。 なの

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連休明けはダルい。休み明けに備えておくこと

先週の4連休はいかがお過ごしでしたか? 私は家族とキャンプに、長男が中学生になったのでお断りされるかも?と、そろそろお年頃なので。。。 ですが、あっさり同行ということで満喫してきました。 そして、また来週に連休。今年は、コロナのため自粛期間もあったのでなんか、いつになく変な感覚ですよね。 未だかつてないほどの休暇みたいな日々です。 今日から8月が始まりますね。例年であれば子供たちも休みな入りって感じなんですけど違いますよね。 なんかほんと今年は時間が過ぎていくのが、早いのか遅いのか。 今月もまた連休がありますよね。 そのまた連休の後にお休みが取れるかたであればそのまま一週間お盆まで休まれる方もいるのではないですかね。 そうであれば、GW並みの大型連休。 「連休明けダルいっす。。。」という方もいらっしゃるのでは? 「連休のことだけ今は考えさせて。」と思われる気持ちもよくわかります。 今回は、考えたくはないかもしれませんけど連休明けにやっておくとよさそうなことをご紹介します。 連休明けのだるさの原因 そもそも、連休明けに「会社行くの面倒。」「学校ダルい。」と、ついつい思う原因を考えてみましょう。」 主には、3つ考えられます。 悪質な睡眠 ストレス 疲労 連休中に昼過ぎまで寝たり、夜更かしをしたりすると生活習慣が普段と変わります。 すると食事の時間やメニュー、入浴時間までも変わってきます。 不規則な生活は自律神経が乱れる一つの原因です。 いったん自律神経が乱れてしまうと朝起きられなくなってしまったり、夜に入眠できなくなったりと、ますます体内時計が狂ってしまいます。そして、睡眠時間と反比例して睡眠の質が下がり、疲れを残したまま仕事始めを迎え、 「あー、だるい。起きられない。。」「体重い。。」という事態に。 また、ストレスも自律神経が関係するものです。人間の睡眠時やリラックス時は、自律神経の「副交感神経(休む神経)」が優位になっています。 この副交感神経と交感神経との切替がうまくいかないと、不安や緊張感の高まり、吐き気、多汗、全身のだるさ、頭痛、肩こり、手足のしびれ、動悸、不整脈、めまい、不眠などの様々な症状が見られます。 これらの症状や程度は人によって異なりますが、こういった自律神経の乱れからくる不調は仕事始めに腰が重くなる理由の一つでしょう。 そして、大型連休にはストレ

ライフスタイル

あの時代ってなんだっけ?

自分の親世代くらいの名曲ですけど、個人的に子供のころ親のせいでしょっちゅう聞かされていたので違う意味で、あの時代です。 聞いたことない人はいないくらいの名曲ですね。 昨年、機会があって札幌ドームにライブに行けたんですけど。自分の親世代くらいの人から、自分よりももう少し上の世代の青春の曲があるんでしょうね。 まずは、どんな歌詞なのか。歌の歌詞って好きなものとか、よく聞いていたものだと結構節々に記憶しているものですよね。 自分は、中学くらいのころに家のBGMが、サザンだったんですけど、BGM程度でそんなファンとかでもないんで 「またかよ」くらいで、詞の意味など考えたこともなかったです。 で、今、親くらいの年代になって聞いて感じたことを今日は書きます。CDを買ったわけでもなく、サブスクでダラダラ検索して見つけた程度なんで、熱のあるファンではないから本当のファンの方には、誤解する解釈もあるだろけど、個人的な見解です。 まずは、歌詞。 「yayaあの時代(とき)を忘れない」 作詞 桑田佳祐 作曲 桑田佳祐 編曲 サザンオールスターズ 胸に残るいと愛しい人よ 飲み明かしてたなつかしいとき Oh 秋が恋をせつなくすれば ひとり身のキャンパス 涙のチャペル Ah もうあの頃のことは 夢の中へ 知らぬ間に遠く Years go by Sugar Sugar Ya Ya Petit chaux 美しすぎるほど Pleasure Pleasure La La Voulez-vous 忘られぬ日々よ… 互いにギター鳴らすだけで わかりあえてた 奴もいたよ もどれるなら In my life again 目に浮かぶのは oh Better Days… とびきりすてきな恋などもしたと思う 帰らぬ思い出 Time goes by Sugar Sugar Ya Ya Petit chaux もう一度だけ 会えたら Pleasure Pleasure La La Voulez-vous いつの日にかまた Sugar Sugar Ya Ya Petit chaux 美しすぎるほど Pleasure Pleasure La La Voulez-vous 忘られぬ日々よ… 忘られぬ日々よ… デビュー16枚目のシングル「yayaあの時代(とき)を忘れない」(

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宣伝は上手くやっている?

ちゃんと宣伝できてます?と、言われて「できてます。」って個人事業主の方々ってそんなにいないかも。って。自分含め。 この外出自粛の中で、我々のような小さな事業をやらせてもらっている者は宣伝をいかにしていかなければならない。 自分のとこの商品、サービスがどういうものであるのか知ってもらうことができない限り次のステージに進んでいくことはできず、衰退の一途をたどるしかなくなるだろう。 しかし、宣伝広告を出す=ネガティブなこと こう思っている節はないですかネ? 実に僕もそう思っている人間なんです。というかそうでした。 最近になって、広告することの大切さを知り今更ながらに自社のこと、自分個人の考えていることを発信してかなきゃならないなと痛感しているところです。 そもそもなんですけど。どうして、広告する行為がネガティブに思うようになっているのかなんですが。 例えばなんですけど、ユーチューブとか見ていて見たいコンテンツを開く前には先ず、広告見なきゃならないとか、TVとかでも、「答えはCMのあと。」なんて、ちょっとウザいじゃないですか。録画機能にCMカットの機能があるくらいなんで、こう思う人は少なからずいると思います。 自分ら事業主が側からすると、広告の規模は違えど宣伝しなきゃならないじゃないですか。 でも、毎日ですよ毎日SNSなどに宣伝になること書き込みしているのは、皆さんの生活の中で邪魔なものになってしまうんじゃないのかな?なんて思っていたりするんですよね。 ですが、そうじゃない邪魔になっていないというケースもあるんですよね。 基本的には、広告って邪魔。 ですが、顧客基盤の成熟している市場では寧ろ喜ばれるケースもあるというんですね。 例えばマクドナルド たまに食べると普通においしいですよね。子育てをするようになってハッピーセットの内容も結構気になるようになっていますから( ´∀` ) 特に、嫌悪しているわけではなかったら知りたいじゃないです?いまのハッピーセットの内容だとか。 ○○バーガーが。。 季節限定のシェイクは何なの?とか ユーザーが新製品の情報を求めているケースですね。 別に、気にせずみますよね「へぇ~、こんなの出したんだ。」くらいな感じで。 必ずしも、ウザいものではないんですね。それを求めている人たちっているわけだし、 求めている人達に刺さっていけば、必ず売り上げに跳

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