「既製品に自分を合わせる」という常識を疑う。アパレル業界の闇を経て、私が札幌で何を縫ってるのか

5年前の自分、今の自分

2021年、私はファッション業界の過酷な裏側を綴りました(ザ・トゥルーコスト「華やかなファッション業界の裏側」)

安価な服が誰かの血と涙の上に成り立っているという現実に、ただ憤りを感じていた時期です。

当時は、業界全体への憤りや危機感に突き動かされていました。


しかし、あれから年月が経ち、今の私は少し違う景色を見ています。もっと本質的な問いに辿りつきました。

それは、「私たちはいつから、服という『型』に自分を押し込めることが当たり前になってしまったのか?」ということです。

既製服という「仕組み」から離れて見えたもの

かつては「効率」や「売れる数」を追いかける世界に身を置いていました。

しかし、今の私はそこから距離を置いています。

誰が着るかもわからない、大量に捨てられていく服を創ることに、私の人生の時間を使いたくないと心から思ったからです。

既製服という「枠」を外してみた時、見えてきたのは、一人ひとりの「わがまま」という名の切実な願いでした。

「消費」という名の麻薬を捨てて

消費とは?

その正体は、単なる環境汚染や人権問題だけではありませんでした。

それは「人間が服の主役ではなくなり、消費の歯車にされている」という不自然さです。

店頭やWEBにある既成の「型」に自分を合わせ、流行という期限付きの価値を買い、すぐに捨てる。

私自身、アトピー性皮膚炎という「肌の弱さ」を抱えて生きてきたからこそ、その不自然さを人一倍、肌身で感じてきました。

化学薬品にまみれた「血の通わない服」は、私の肌も、心も、決して癒やしてはくれなかった。

「服」を、自分の哲学に呼び寄せる

正直に言えば、自問自答することもあります。「これ以上、この世界に物を増やす必要があるのか?」と。

「既製品に自分を合わせる」という常識を、一度疑ってみる。

私は既製服という仕組みから離れることを決めました。

自分の体型、生き方、そして譲れない哲学。

そこに服を「呼び寄せる」のが、私の提案する「ウェアラブルアート」です。

一人の人間が作るものです。年間で世に送り出せる完成品は数えるほどです。


それは「消費される服」ではなく、持ち主の人生と共鳴し、修繕し、10年後もその人の傍らで輝き続ける「ウェアラブルアート」です。

その一着が、一人ひとりの魂に寄り添いその人のアイコンになるウエアであるべきものであれば。
それがファッションであり、ウエアラブルアート。

ファッションビジネスに、ハッピーな行き先はあるか

買う人も、作る人も、誰も犠牲にならない幸福な未来。私はあると信じています。

それは、服を「消費する消耗品」としてではなく、「自分を表現するアート」として迎え入れる世界です。


それは、大きなシステムが変わるのを待つのではなく、私たち一人ひとりの「選択」から始まると信じています。
「安さ」という麻薬ではなく、「一着との出会い」という豊かさを選ぶこと。


作り手が見え、想いが見え、お直しをしながら共に歳を重ねていける関係性。

人生の相棒として共に歳を重ねていく。


この「一着を深く愛する」という選択こそが、結果として環境を救い、作る人の尊厳を守り、着る人の心を豊かにする。

これこそが、私が提示したいファッションの未来です。

最後に

服が主役の時代は、もう終わりです。


主役はいつだって、それを纏う人間。

私はこれからも、あなたの「わがまま」を解決し続けます。

札幌のこの小さなスタジオから、あなたの魂に寄り添う一着を形にしていきたい。

それが社会の問題を今すぐ全て解決するわけではないかもしれません。

けれど、私の針が通るその一寸の間には、嘘のない誠実さと、未来への希望を込めています。

あなたは、どんな物語を纏いたいですか?

「……あなたは今日、何のために、どんな自分を纏いますか?」

最後に。 私が最近、一筆ずつ想いを込めて描いた一枚を紹介させてください。

光の当たり方で表情を変え、感情を映し出すラメペイント。

既製品という型を脱ぎ捨てた先にある、自由で、少しわがままな高揚感。 それを、あなたと一緒に創り出せる日を楽しみにしています。

「こんなこと相談していいのかな?」という小さな疑問や不安でも、
どうぞお気軽にご連絡ください。

Design Philosophy

札幌のアトリエから生まれる、
表現としての「ウェアラブルアート」

VIEW PHILOSOPHY

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