川村元気さん原作の本作品です。
川村元気さんの作品は個人的に好きなので、いろいろ本が出るたびに読ませていただいて、その中でも本作はお金をテーマに書かれたもので。
お金と幸せについて書かれた作品はほかにもいろいろありますが、川村元気さんだとどう書くのか楽しんで発売当時は読んでいたことを思い出します。映像ではどう表現されるのか楽しみにみてみました。
結局、お金持ちになることは幸せなんでしょうか?不幸せなんでしょうか?
「お金の正体を見つける。」と九十九(ツクモ)の印象的な表現がこの話の魅力に感じていたんですが。
登場人物
- 一男=主人公
- 九十九=一男の大学時代の親友。起業して大金持ち
- 百瀬=九十九の企業仲間で、大金持ちでギャンブラー
- 千住=九十九の企業仲間で、大金持ち。マネーアドバイザー
- 十和子=九十九の元秘書で、今は10億を隠し持つ専業主婦
- 万佐子=一男の妻
見てみて感想
億万長者になってみたいと思う。
宝くじで億万長者になれたら幸せかもねと思う。
でも、間違いなんだろうか?
億という大金を手にしたらやはり人間って変わってしまうのだろうか?
一男はお金がなくて家族を失いそうになる。物語の最後で一男は、取り戻せたかは想像するしかない。
失敗する人間もたくさんいるだろうけど、少なくともお金に余裕があると、精神的な余裕も生まれると思う。
それは悪いことではないと思う。金銭余裕がないとココロが荒みます。
何が正解なのかわからないけれど、ぼくはないのとあるのでは、ぶっちゃけある方になりたい。欲が強いのか?
お金がない人の苦労は想像に容易いけど、お金がある人にも苦悩や恐怖があることを知った。
お金は減ってもまた増やせるけど、信用は失ったら二度と戻せないというところが一番心に残った。
十和子は「お金と愛」、百瀬は「お金と信用(賭け)」、千住は「お金の幻想」について教えてくれる。
お金によって縛られてしまった、欲深い彼らの教訓である。
教訓から、一男は「欲=悪」と捉えることができた。しかし、最後に万佐子に「欲=生きること」、と反論されてしまう、、、。
この本を読むまで僕の中で『お金』=『がっつきすぎるのは汚い』という構図があったように思う。
だが、
万佐子さんの言葉に目から鱗が落ちるような感覚を受けました。この映画で『欲を持つこと』や『お金』に対する考えが大きく変わって
『欲を持つことも別に悪いことではないけど持ちようなんだなぁ』と。
川村元気さんに教えてもらえたような気持ちになれました。
落語「芝浜」
この作品は、落語の「芝浜」のストーリーとリンクしています。
「芝浜」という演目は、こんな話です。
酒好きながらも腕の立つ魚屋の勝が主人公。お酒を飲んでばかりでうだつの上がらない勝は、ある日大金の入った財布を拾います。喜んだ彼は帰って豪遊し大酒を飲んで寝てしまいます。
次の日、そんな様子を見て女房が叱りますが、「金を拾ったから大丈夫だ。」と言う勝。
しかしどこにも財布は見つかりません。困惑する勝に女房は「酔って夢でも見たんだろう。」と言います。
愕然とした彼は一念奮起し、断酒して一生懸命働くようになります。
3年後には生活も安定し、立派な店を構えるまでになりました。勝は女房に礼を言いますが、女房は真実を伝えます。
勝は実は、本当に財布を拾っていました。しかし、あまりに高額だったために、女房がそれを役所に届け、酔っていた勝に嘘を伝えたのでした。
そして、落とし主が現れなかったために財布が戻ってきたのです。
それを聞いて、女房を責めるのではなく、自分をまともな人間にしてくれたことに深く感謝する勝。
女房は酒を勧めますが、初めは断ります。やがて少し口を付けますが飲むのをすぐに止めます。
「よそう。また夢になるといけねぇ。」