Defcom-Blog
成熟社会でフューチャーされる活動・ビジネスの方向性
成長社会が「不足・不満・不便の解消」のためにモノを大量生産・大量消費する時代だったのに対し、 成熟社会では人々の価値観が 「物質的な豊かさ」から「精神的な豊かさ」 へと転換しています。 この変化は、ビジネスと人間の活動の両方に大きな影響を与えています。 「モノ」から「価値・体験・プロセス」への転換 社会課題の解決型ビジネス 人間の主体的活動と「余白」の重要性 欧米の成熟社会の動向 欧米の成熟社会の実例 サステナブルファッション:レンタルやリセール(再販売)、アップサイクルが一般化し、循環型で楽しむことが社会的に評価されている。 エシカル消費:消費者が「自分の選択が社会や環境にどう影響するか」を強く意識。フェアトレードや環境負荷の少ない商品を選ぶことが当たり前になっています ギグエコノミーと柔軟な働き方:欧米ではフリーランスや副業が定着し、個人のスキルを活かす働き方を支援するプラットフォームが発展しています 日本の身近な成熟社会の実例 ブランド・コミュニティ:日本でも「モノを買う」より「そのブランドを通じて人とつながる」ことが価値になってきています。例えばアウトドアブランドのファンコミュニティや、古着リメイクの愛好者グループ。 地域の余白を活かす活動:練馬区など自治体の総合計画では「量から質へ」の転換を掲げ、地域の祭りやボランティア活動が成熟社会の象徴として位置づけられています。 課題克服先進国としての日本:高齢化や人口減少を抱えながらも、介護・子育て支援や教育リスキリングなどの分野で新しいモデルを模索しています。 終わりに ここまで読んでいただきありがとうございます。 かつての「モノを創造する楽しさ」を知っているからこそ、これからは「価値や関係性を創造する楽しさ」に目を向けてみたい。 「選ばれる理由」は、製品のスペックではなく、共感や参加したいという人間の根源的な欲求に結びついているのかもしれません。 コミュニティーに参加しませんか このテーマに共感してくださった方、もっと深く話してみたい方は、ぜひ僕のコミュニティへ。 公式LINEからつながっていただければ、日々の活動や考えを共有できます。 お友達LINE
アラフィフになって考える「服を選ぶ意味」
師走ですね。今週は仕事スケジュール優先でランニングを我慢している僕。 昨夜、寝る前に今日着る服を用意して、今その服を着ています。 今日はちょっといつもと違う場所に行く予定があるから。 「TPOを考えて服を選ぶ」——よく耳にする言葉です。 たしかに、寝巻きで初対面の人に商談しても信用されない。 これさえ着ていれば間違いない、という服があれば僕らのような衣類に関わる人間の仕事は必要ないのかもしれません。 選ぶことが難しい時代 30代、40代は毎日がむしゃらに働き、子育てをして、服を選ぶ時間すら勿体ないと感じていた。 でもアラフィフを迎え、少し時間的な余裕ができた今。 「ちょっと良い感じのおじさんに見せる服を着てみようかな」と思うようになった。 ただ、そもそもどこで何を買って揃えたら良いのか。 選ぶこと自体がつまらなくなっている?面倒になっている時代に、どうやって自分らしい服を見つければいいのか。 そもそも、情報もありすぎて正解がわからないともいえる。 凝り固まってる自分の服装に対してのルールがあったりしますよね。 ファッション診断・オーダー・リメイクという選択肢 そこで僕が提案したいのは、ファッション診断やオーダー、リメイクファッションという選択肢です。 服を選ぶことが難しい時代だからこそ、選ぶ意味を再構築するサービスが必要なのだと思います。 まとめ アラフィフになって、服を選ぶことの意味をもう一度問い直す。 無難で効率的な服も良いけれど、ちょっと良い感じのおじさんに見せる服を選ぶのもまた楽しい。 そのために、診断・オーダー・リメイクという方法で「選ぶ価値」を取り戻していきたい。 ご相談はこちらから 「自分に似合う服を知りたい」 「一点モノをオーダーしてみたい」 「愛着ある服をリメイクしたい」 そんな方は、ぜひ気軽につながってください。 LINEで相談する
ローテクな服とハイテクな服
今日は服のことを書きます。ローテクな服とハイテクな服って何だろう? 大量生産され、機械的に作られた服を着る満足と、ローテクで数点しか存在しない服を着る満足。 どちらも「服を着る」という行為だけれど、満足の仕方は違うのかもしれません。 同調か、差別化か 同調したい気持ちから、当たり障りない印象を与えるために大量生産された服を選ぶ人もいる。 一方で「長いものには巻かれたくない」という気持ちから、一点モノや他に同じがあまりない服を選ぶ人もいる。 おしゃれとは、他人と差別化できるからこそ成立するものなのか。 そんな先入観を持ってしまっているのは自分だけなのか。 アラフィフ世代の服選び 50代の友人たち、いわゆるおじさん世代。 彼らは皆、他人と差別化されたおしゃれな服を着ることに満足しているのだろうか。 それとも、相手に悪い印象を与えないように、特別なものを着ている感じを出さない方が満足なのだろうか。 今日選んだのは ところで、本日はこんな記事を書いてる僕ですが。ローテクなものを選んで着ています。 ローゲージのざっくりニットと、玉ねぎ染めのストールですね。 どちらもハンドメイド感です。 ローゲージニットは古着を購入し、良さげなリブと合体。これリメイクです。 玉ねぎ染めもまた、この北海道らしい感じですよ。 詳しくは、ショップの方にどうぞ。 shopはこちら ファッションは“心地良さ”の具合 結局のところ、ファッションはそれぞれに丁度良い心地良さを選ぶもの。 着るものは似ていても、満足の仕方は人それぞれ。 だからこそ、一緒に考えていくのが面白い。 まとめ ローテクな服とハイテクな服。 同調か差別化か。 どちらを選ぶかは人それぞれで、そこに正解はない。 さて、あなたならどっちを選ぶだろう。 ご相談・繋がりはこちらから 僕は衣装制作を軸にしながら、お直しやリメイク、そしてサイネージ広告の運営なども行っています。 「服のことを相談したい」「ちょっとしたお直しを頼みたい」「活動について話を聞いてみたい」 そんな方は、ぜひ気軽につながってください。 ご興味に合わせて、以下のLINEからお気軽にご連絡ください。 衣装専門LINEはこちら アラフィフライフ・ファッション診断LINEはこちら
アラフィフから考える“普通”と自己表現|自分との対話
アラフィフになってから、ふと「何を着ればいいのか分からない」と感じることはありませんか。若い頃は、友人との集まりやイベント、ちょっとした外出でも“おしゃれして出かける理由”がたくさんありました。 でも、札幌や北海道の暮らしの中で、子育てが落ち着き、コロナ禍を経て外出の機会が減った今——気づけば服選びに迷う瞬間が増えている人も多いはずです。 今日は、「普通になる」とはどういうことか、そして「見られるようになる」とは何を意味するのか。自分自身との対話を通して考えてみます。 自分との対話 僕:「普通になるように、ってよく言うけど、そもそも普通って何だろう?」 自分:「周りから見て違和感がないこと、浮かないこと。つまり“見られるようになる”って、社会の中で自然に受け入れられる状態のことじゃない?」 僕:「でも、それって自分を抑えて合わせることにもなるよね。アラフィフになって、服やファッションに対して“普通でいい”と思うのは、出かける場面が減ったからかもしれない。」 自分:「そうだね。若い頃はイベントや集まりが多くて、普通より“目立ちたい”気持ちが強かった。でも今は、普通であることが安心につながる。」 僕:「じゃあ、“見られるようになる”ってどういうことだろう?」 自分:「それは、ただ人に見られるだけじゃなく、“その人らしさ”を認めてもらえること。普通であることと、自分らしさを失わないことのバランスが大事なんだと思う。」 僕:「なるほど。アラフィフファッションもそうかもしれない。札幌や北海道の暮らしの中で、派手すぎず、でも自分らしさを少しだけ添える。そうすれば、普通でありながら“見られる存在”になれる。」 まとめ 「普通になるように、見られるようになる」とは、 アラフィフ世代にとってのファッションは、派手さよりも「安心感+ちょっとした自己表現」。 それが“普通でありながら見られる”ということなのかもしれません。 このブログを読んでちょっと相談してみたいとか、なんかどんな自分がいいのか?など興味をもっていただけたら。 僕の会社では、衣装制作、ファッション診断を軸に事業を行っています。 また、アラフィフ世代のライフスタイルやマラソンを軸にした日記など自分が変われるかも?思春期ならぬ思秋期の思いだとか共有できるコミュニティーがつくりたいこのごろです。 ご興味あるかたは、過去ブログ
Defcom|デザインと縫製の先に見つけた50代の趣味|北海道アラフィフの挑戦
気付きから 49歳を迎えて、迫る50代。 「仕事と家庭以外の自分」ってなんだろう?と考えるようになりました。 僕の仕事人生の大半はアパレル。デザインから縫製まで全部やってきました。 ある意味、仕事そのものが趣味にもなり得る職業。 でも、それを「必要なスキルだから」と割り切ってやってきた部分もあって、純粋な楽しみとしての趣味は持っていなかったんです。 子供のサッカーイベントで親子サッカーに参加したとき、頭では動けるつもりなのに体が全然ついていかない(笑)。 そこで「このままじゃ人生が薄っぺらいな」と感じました。 趣味が持つ再生力 北海道という舞台 コロナ禍を過ぎて海外や関東に行ったとき、改めて「北海道って恵まれた土地だな」と思いました。 コミュニティーとのつながり 僕の場合はジム通いからスタート。 久しぶりの運動で筋肉痛だらけでしたが、トレッドミルで2キロ走ることから挑戦しました。 人見知りなのでジム友はできませんでしたが、早朝に通うといつも同じ顔ぶれがいて、自然と挨拶するようになる。 ちょっとした一体感って心地いいんですよね。 やがて走れる距離が伸び、マラソン大会が気になり始め、SNSに記録をアップすることで「やらなきゃ」という気持ちも芽生える。 昔からの知り合いに声をかけてもらったのをきっかけに、ランニング沼へ。 初めての大会はハーフマラソン一人で参加しましたが、走り終えた後は知らない人たちとも同じ達成感を共有できる。 こんな辛いことを楽しいと思う変人はがこんなにいるのか。なんて。 誘われるがままで大した準備もせずに参加した北海道マラソンでは「人生でこんなに足が棒になるか!」ってくらいの経験をしましたが、それもまた大きな学びでした。 まさに、「ドMの極み」。。。 何回も挫けるのだけど、ここまで来たのだから。やるしかないか。 これ終わったら、もうフルマラソンなんてしない。。 そんなことも考えたり。 そこで気づいたのは、一つの目標を達成するコミュニティの力。 これは今後の人生を支える大きな力になると思っています。 コツコツやるにしても、同じような感情を分かち合える時って何事にも変えられない時間なのかとも。 50代の可能性 趣味を通じて健康を守り、仲間を得て、自己表現を取り戻す。 異業種交流会でも、マラソンの話題だけで会話が広がることがあり、 話下手な自
