覚悟がないからこそ作れるもの

「僕はアーティストとは言えない。だから覚悟がないのかもしれない。」


そんな言葉を自分に投げかけることがあります。

でも、覚悟がないからこそ作れるものがあるのではないでしょうか。


未完成だからこそ出せる表現。
途中だからこそ伝わる人間味。


揺らぎや迷いがあるからこそ、作品に温度が宿る。

覚悟と不完全さの関係

覚悟を持つことは強さです。


でも、覚悟を持たないことは弱さではなく、余白を残すこと。


その余白が、人に考えさせ、感じさせる。

「完璧な答え」よりも、「問いかけ」や「未完成の断片」が人の心を動かすことがあります。


このブログも、そうした未完成の断片のひとつ。


読む人に問いを投げかけ、考えさせることができれば、それ自体がアートなのだと思います。

アートとは、何?って。

アートだから、で逃げたくない

何事に対しても「これはアートだから」と言い訳して逃げるのが、僕はすごく嫌だ。


それが、僕が自分をアーティストだと名乗れない根本にある。

アートであれば、何でも許されるわけではない。
「アートだから」という言葉を盾にしてしまえば、責任も覚悟もなくなってしまう。


それは自分に対しても、世間に対しても誠実ではないと思う。

だから僕は、アーティストを名乗る前に、まず「人としてどう表現するか」を問い続けたい。


作品は逃げ場ではなく、むしろ自分の立場や考えをさらけ出す場であるべきだ。

覚悟がないからこそ生まれる価値

  • 柔らかさ:決めつけないからこそ、受け入れられる余地がある
  • 共感:迷いを見せることで、同じように迷う人に寄り添える
  • 創造性:未完成だからこそ、新しい可能性を探せる

覚悟がないことは、欠点ではなく「人間らしさ」の証。


それを表現に変えることができれば、作品は、見た人使ってみた人を考えさせる力を持ちます。

覚悟がないからこそ作れるもの。


それは、未完成でありながら人を動かすもの。


このブログもまた、問いかけを通じて読者に考えてもらう「ひとつのアート」なのです。

まとめ

ここまで読んでいただきありがとうございます。

アートは万能の免罪符ではない。
むしろ「何でも許されるわけがない」という前提を持つことで、表現はより強く、より人間的になる。


その覚悟がないからこそ、僕はまだアーティストとは言えない。


でも、その葛藤を言葉にすること自体が、すでに表現の一歩なのかもしれない。

最後に

僕はAIに話しかけながら仕事や思考の整理する使い方のしたりします、でも日々の仕事はとてもアナログです。

前回のブログでも書きましたが、人間力に魅力を感じています。


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