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NYで話題の「服を減らす」メソッドです

「新しい服」買うのやめたら起こった5つのこと(ダサくなったではない) たくさん服はあるのに、今日着る服がないのは、あなたが服を持ちすぎているからかも?新しい服を買うのをやめて、手持ちの服だけで過ごしてみると、意外と定期的に買い続けなくてもおしゃれはできるということが分かってきます。もう、流行や、予定に合わせて新しい服を買う必要はありません!手持ちの服だけで、十分おしゃれに見せられます。 なぜ、買っても買っても、着る服がないの? 今日着たい服がない、このコーディネートに合うバッグがない、足が痛くなる靴しかない……。必要な量よりもはるかに大量のものを持っているのに、なぜか着る服がない!という悩みをお持ちの方も多いはず。実は多くの女性が、手持ちの服の20%だけを着て、80%の時間を過ごしています。ですから、持っているほとんどの服は、実は不要な服。着たい服が分からなくなってしまうほどたくさんある、使っていない80%の服がクローゼットからなくなり、必ず使う20%の服だけのワードローブになれば……時間も、お金も、体力もきっと節約できるはず。そんな風に思いませんか? 「より少ない」生活へと舵を切り、自分とものやショッピングとの関係、とくに、毎日身に着ける衣類を徹底的に見なおすもの。これまでの考え方を変え、服の着方を変え、あなたがクローゼットと人生に心から望んでいるものは何なのか知るチャンスでもあります。先日、less is moreの話をさせていただきましたが、そこに通ずる考え方でもあるんです。 3カ月、新しい服を買わず33アイテムで過ごす 3ヵ月間、新しい服を買わず、最初に決めた33のアイテムだけで過ごすというNYで話題の「服を減らす」メソッドです。33のなかには、小物、アクセサリー、靴も含みます。選ぶ時には、手持ちの服を「大好き」「さよなら」「どちらでもない」の3つに分け、さらにそれらを本当に使いそうか……と吟味していくので、使っていなかった80%の服をグッと減らすことができるのです。それに、こんないいことがあります。 1 浪費が減るしっかりと実践するには、着る服の数を減らすだけではなく、3ヵ月間、ショッピングを完全にやめなければなりません。それほど使っているつもりはなくても、靴、服、小物などへの出費(多額でも少額でも)は積み重なるもの。これまでどれほど浪費していたかに驚く

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レス イズ モアとは?

ノームコアがブームだからだとは思わない。 生活スタイルにして、割と腑に落ちる感じがある考え方でないだろうかな。 そもそも 「少ない方が豊かである」という意味。 20世紀に活躍したドイツ出身の建築家、ミース・ファン・デル・ローエが残した言葉として知られてます。 シンプルなデザインを追求することで美しく豊かな空間が生まれるという、建築家としての信念を表した言葉だ。 ちなみに同氏は「God is in the details.(神は細部に宿る)」というモットーを掲げたことでも知られる。 ここから派生して、建築の分野に限らず、プロダクトデザインやWebデザインなどの分野における引き算の美学や、少ないもので豊かに暮らすミニマルライフのポリシーを代弁する言葉として使われている。 また近年では環境保全の観点からも、物質的な豊かさを追求するのではなく、大切なものだけを選び取る「Less is More」の意識が欠かせないと言われている。 Less is Moreと似た意味の言葉 Less is Moreと同じような意味合いを持つ表現として、海外のデザイン業界では以下のフレーズがよく使われているという。 Everything you need, nothing you don’t(必要なものだけ) Perfection is achieved when there is nothing to take away(完璧とはこれ以上削れない状態の事である) ちなみに「星の王子さま」の作者であるサン=テグジュペリは、 「Perfection is achieved, not when there is nothing more to add, but when there is nothing left to take away(完璧とはこれ以上加えられない状態の事ではなく、これ以上削れない状態の事である)」という言葉を残している、 また、平素なものを良しとする Less is Moreの価値観は、古来から日本に根付く「禅」や「侘び寂び」の精神と共通する部分がある。 ローエは日本庭園を見てLess is Moreという言葉を思いついたとも言われており、日本人の美的感覚とは相性が良さそうだ。 減らすというよりも絞り込む モノへの執着を捨てることをコンセプトとする片付け術である断捨離や、必要

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不要不急の典型はアート

コロナ以降の日本も世界も、ニュースで見るにたくさんのお金が発行されてますよね。 庶民の僕らにとっては、生活費の補填にまわっていくほかない感だけれど、 これだけお金であふれてきて、 革新的なことに投資がおこなわれてくようでもなさそうですよね。 明治維新は、異国の異なる文明に侵略される危機感が後押しされおこったわけでしょ。 現代の世界の危機といえば、環境問題。 あまり切実に捉えられていない感もあるのだけれど、 ここ最近では、もう一つ AI(人口知能)のほうにより危機感を持ってるのではないです? 「仕事が、うばわれていく。」「ITリテラシーがないと色々手続きに窓口の人いないのは心配」など。 でも、この環境問題をクリアするにはAIは必要不可欠。 過剰生産を避けるため、最近ではアパレル界でもAIが気候の変動や顧客のか奪い動向のデータを集計し適量の生産数など、AIを導入するアパレルも。 従来のMDの仕事をAIがとってかわる感じですね。 必要数を計算することは、環境にも優しいにつながるでしょう。 なので、人口知能は今後人類には不可欠。 核問題 環境の次に問題になるのは、核問題。 そもそも、核のコントロールを一人の人間に任せて良いのか。 金正恩、ドナルド・トランプがボタンを勝手に押して良いのか。 AIが、今ボタンを押して良いのかダメなのか、どちらが合理的なのか計算して 「やっぱり、押さない。」となる方にしたほうが未だマシかな。 そもそも、 地球が滅ぶんだから非合理。 ぼくが思うに、AIの役割はすごく大事になってきていて、 もうAI化以外に進む道はないと思う。 撲滅するのが得策なんだろうけど、人の判断に任せるより、 そのほうが、個人的には良いと思う。 宗教無き世界 AIの発達は、ますます加速していますけど、 科学のコントロールの世界において道徳の役割も見直されるべきと思う。 宗教なき道徳です。 宗教の役割は終焉を迎えてきていると思うけど、 依然として僕も含め、宗教的な慣習に従っている。 誰も、神はいないって薄々感じてるのに、神社にお参り行くとか。 だけど、科学は世界共通の文明だけど 文明を制御するのは文化である道徳。 そうすると、社会がより合理的に進行するのであれば、アートは逆方向に行かざるをえない。 アートは社会の逆方向に 社会が合理的に進むに反して、 アートの位置は、 より豊潤

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俯瞰で自分を見る

職人出身経営者あるあるです。 自分に向かっても勿論いえることです。 職人の仕事だけでは人生終わらせるには勿体ないと思う気もあるので、 自分でできることなら、イベントやショップのマネージメントなどもやらせてもらえるようになってきた。 だけど、この現在のコロナ禍の中で新参者の自分の会社では、どちらかというと元々の職人向きの仕事。 自分の会社では縫製に関わる仕事のほうが比較的にこなしやすい。 で、そんなときに こんな刺激的なYouTubeを見てしまった。 見て数日は、職人モード全開でした。 「次の出店のアイテムをどう作る?」 「こんな技法で。。。。」 昨日、製作仕事からちょっと離れて経理をちょっとしていた時に、まずいことに気づかされた。 これ、ほんと大事なこと。 「社会に活かされているから、自分がある。」 このYouTube、洋服作りしている人、アパレル関係者、それ以外でもクリエーターの仕事をしている方たちには、 川久保さん自らの言葉は、とても刺激的であったに違いないでしょうね。 僕も同じです。 ですが、僕の個人的な意見です。 そもそも、 「彼女と自分では、社会的な立場が全く違う。」 人にはそれぞれに社会的立場、役割があると思います。 モノを作るということを否定するわけでは無いです。 川久保さんの作るものは、単純に洋服だけではないと思っています。 コムデギャルソン という、存在を社会にどう活かすのかをその時代時代で明確にしてこられていると思います。 自分はと言うと、川久保さんに限らず世界で活躍するデザイナーやクリエイターのニュースなどを見て、刺激され、 「自分の作るものを、もっとクオリティー高くしよう。」 などと、考えてしまうわけです。 ですが、いったん立ち止まって考えると、それはこの社会でどう活かされてく? そこまで考えていかないと、趣味、自己満足に過ぎないです。 国内では、アパレル品が余っていると聞きます。 ですが、社会に活かされる製品はいつの時代にも必要とされます。 それがたとえ未完成で未熟なものであっても。 社会があって自分がある自分の仕事がある。 社会との向き合い方で、自分を活かすも殺すも自分次第ですね。

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新しいことにアレルギーを感じてたら、もうオッサンだよ

柔軟に新しいことに、アレルギーを感じているままじゃ。 子供たち、若者達には、 ただのおっさん扱いだよ。 「勉強もしないで、ゲームばっかりしてるんじゃ無い!」 どこの家庭でも、よく聞くフレーズの様だけれどね。 今の、世の中にはゲームなんてそこらじゅうにある。 僕に関しては、十代の頃でゲームで興奮する気持ちは、枯れてしまったけど。 自分の子供達が夢中になってるものだから、 こう考えた。 接待ゴルフならぬ、接待ゲーム。 ニューノーマルならではの、接触要らずのリモートでもイケる。 新しいことを取り入れることにアレルギーを感じるのは、根本的には人間らしい反応だそう。 子供は、良い意味で空っぽだから新しいことにアレルギーは感じることなく、詰込みまくりだ。 ただ、過去の記憶の蓄積のある我々はそれと新しいことをブレンドして、 もっと愉快で斬新なことを生み出しちゃえ! ってくらいな生き方が心地良いのではないのでしょうか?

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エストニア:電子国家はご存知?

マイナンバーカードを作らなければと思うこの頃ですが、 そもそも、どれくらい世界ではデジタル化が進んでるのだろうと思いますが、 デジタル国家と言えば、エストニアなどが上がってきますが、 実際のところはどうなの?です。 諸外国とは言えど同じ人間ですから、そんなにITリテラシーが急速に進化しているとは思えないです。 実際は、アナログで不便なことが多かったり、 勿論、国民のITリテラシーも特別高いわけでは無いとのこと。 行政サービスは日本より一歩先を進んでるようですが IT国家にも関わらず、Wi-Fiが切れてしまうこともあったりと。 建物なども旧ソ連時代からのものもまだあったりと。 スーパーなどの買い物などの支払いは、クレジットカードだけで済むらしいのだが、 日本みたいなスマホ決済などは普及してないのは意外。 IT教育についても、エストニアはすでに小学校からプログラミング教育を開始しているため、日本よりITリテラシーが高いと思われがちだが、実はそれも人によるそうだ。 このように、日本で報じられているIT国家。 諸外国は日本に比べIT化が非常に進んでいるような報道が、多い昨今だが、 人類はそんなに差はないと。 テクノロジーの進化はすさまじい勢いで進んでいるが、それについていけてない人類も少なからず各国には存在している。 だが、マイナンバーカードは作っておこうと思う。

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ノームコアな生活/fashion

2000年代に入り、着飾るよりもより自然で普通である着こなしが流行していた。 ですが、トレンドとは繰り返してくもの。 前回のブログでも説明させていただいたが。 2020年秋冬メンズファッショントレンドはどう動く? ノームコアとは、ファッション界から生まれた造語である。 ノームコアのノームは、normalの略のノーム。 「標準」 コアは、「核」。 合わせてノームコアとは、「究極の普通」てな具合で捉えているのが妥当でしょう。 これは、受動的に「普通」というのではなく、 能動的にあえて「普通」を選ぶというトレンドですね。 スタイルアイコンとして、故スティーブ・ジョブズが挙げられるが。 ノームコアからみる社会の未来 このノームコアのトレンド、流行かについてファッションの分析をこれから書こうということでなく、 ファッションからみた社会の姿について書きたい。 これには、わりと重要な示唆がある気がしてならない。 これまでは、年齢を重ねることことには様々な社会的な期待が伴っていた。 責任が重くなり、 成熟することが求められ、 そのかわり、老いれば老いれば悠々自適の生活を夢みることができた。 しかし、今や世代の特徴というのはあまり明確ではなくなりってきている。 世代の違いよりも、属している文化的なクラスターの違いのほうが大きくなってきている。 若くても年をとっていても、同じ文化圏であれば話は合いやすい、 同世代でも、違う文化圏に属していると会話はかみ合わない。 そういう世界で、成熟(年を重ねていくこと)への期待は消滅していく。 最近は、地方都市だと、高齢者から若者まで、同じ「ファッションセンターしまむら」の服を身に着けていたりする。 1970年代に、若者が読むコミック雑誌を大人の会社員が読むようになり、社会が驚愕したと聞いたことがある。 ですが、今やそんなこと当たり前ですよね。 何故、昔に驚愕されたのか理解に苦しいかもしれませんよね。 今は、年配の方もスマホでゲームをしたり、SNSもやったりします。 昔の人が見て感じるのなら、世界の終焉と言うかもね。 もはや個性的ではない 今までは、ひとりひとりの個性を大事にしようという時代だった。 集団に埋没するのではなく、自分の個性を打ち出す。 自分だけのファッションを身にまとい、自分だけのキャラクターを打ち立て、 自分だけの物語をつくる。 し

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日頃どういうものを食べれば良い?

日頃の食事気にしていますか? 人生40代に突入してくると気にせずにはいられないことに。 この人生100年時代と言われる現代ですが、どういうものを日頃食べれば良いんでしょうか? 食事に関するありえない知識がどれだけ蔓延しているか。 そのことを記してくれた良い本がありまして、ご紹介させていだきたいです。 著者は、医師であり医療政策学者である 津川友介さんの著書を読ませていただきました。 結論から述べます。 健康になりたのなら食べたら良いものは、 魚、野菜と果物、茶色い炭水化物、オリーブオイル、ナッツ類 この五種類です。 逆にあんまり食べないほうが良いものは、 赤い肉、白い炭水化物、バターなど飽和脂肪酸の3つ。 まずは、ざっくりこんな感じです。 なぜこの本を読んで感銘を受けたのかなんですが、エビデンスがしっかりしている良書だからです。 エビデンス=根拠 仕事でもそうですが、根拠、エビデンスの確かなものって信頼に値するじゃないですか。 確かなエビデンスが信用を生むんです。 更にこの本はエビデンス、研究結果があるだけではないんです。 殆どの健康志向の本とかにありがちなんですけど、○○を食べていれば大丈夫みたいな、 そんな本は山ほど見かけますよね。 この本では、ほんと信頼に値するエデンスを元に解説されているんです。 そこまで、僕自身が食事に気にしていなかったのにも関わらずこの解説に納得させられたんです。 例えばですが、サンプルになる人達の選び方は適切なのか? 片方は運動する人たち、もう片方は食っちゃ寝している人たち。 そんな分け方ではダメでしょ。と言う感じで、 研究結果も複数の結果が出ていないと意味がないよということなんですね。 とても厳しい視線でこの本は書かれています。 逆に言いますけど、単純にこの本も含めてなんですけど。 「エビデンスがある」、「最新の研究結果の結果明らかになった。」 この2つの言葉には要注意しなきゃなりませんよ。 こう書かれてはいても、強いエビデンスがあるとは限らない。 この調査の手法がどうであったのか。 例えばある特定の地域のある特定の人種の調査だけで、たまたま一度だけ出た調査結果をエビデンスがあると表現しているのかも知れないんです。 故に、この本の良いところをあげると エビデンスへのこだわりが強い サンプル対象も適切 複数の研究結果を重視している こ

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8時間労働は必要なのか?

お盆休みいかがでしたか? 長い人では9連休の人もいたのではないでしょうか? そもそも、労働時間は8時間って常識とかいつから言われるようになったんでしょうね。 僕に関しては、今は個人事業主として生計を立てれるようになって3年になるところなので、 こういった社会的にはわりと暗黙に常識になっていることを疑問に思ったりすることも増えてきました。 ましてや今の社会の状況を見ても、ネットとかに上がってくるニュースなんか見ても。 で調べた見たところ8時間労働=文化みたいなのが生まれたのは、 日本では100年前に導入されたそう。 かつては、私も若かりしころは縫製工場で働いた期間もありました。 学校みたいにチャイムが鳴るんですよね。 始業時間、昼休み、3時休憩、就業の4回。有線放送のJ-POPを遮り、時間に鳴ったら鳴るんですね。 ミシンの騒音、アイロンのバキュームの騒音でJ-POPは 殆ど聞こえないんですけど、チャイムは何故か、よく耳に入るんですよね。 8時間労働が文化になってから100年 すごい話だと思いませんか? 100年前と僕らの労働時間は変わっていない。 最近では、8時間労働長くないか?という考えを持つ人もチラホラ聞きます。 今まで考えることもなかったのですが、言われてみればそういう期間、そういう日もあるかもね。ですよね? 自分も雇用されていたころは、疑う由もなくただただ会社にいました。 いないと、欠勤か中抜けの扱いになるんですもの。。 今はそういう立場でもないので、隙間時間はどうしたら次のステップアップに活かせるのか?考えるようになれましたが。 ちょっと、自分のことばかり語ってしまいましたが、本題にもどりまして、 労働時間は100年変わっていないと、そもそも100年前の労働の内容と今の労働の内容は全然違うものだいうのは、誰しも知っていますよね。 100年前だと、雇用者は単純労働が殆どですよね。 雇用主に指示されたことを指示されたようにただただひらすらこなす。 例えばですけど、製糸工場みたいなところで糸を紡ぎ続けるみたいな。今や途上国の工場とか、日本でも僅かですけど田舎でひっそり営んでいる部品製造の工場など。 肉体的には非常に重労働になるものも中にありますよね。 ですが、殆どの労働は、今はそうではない。自分流にアレンジ、工夫を考えてこなさなきゃならないレベルの高い仕事が求め

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「忙しさ」は、あまりよろしくない

今日は雨ですね。雨。 事務所の窓を閉めておくのを昨夜忘れていて、今朝開いていた窓の周りが大変なことになっていました。。。 朝から雑巾かけです。。。 盆休みに入ろうかと思うこのスケジュールの多い週末に。。。 って、感じなんですけど。 皆さんも多忙ですよね。 そもそも、この忙しいスケジュールで過ごすという状態はあまりよろしくないと。 忙しさについて考え直してみよう ただ忙しく働いている人というのは、努力していないよ。と聞きます。 サラリーマンに限らず自営業の人にも当てはまることになるんですけど。 ですが、朝起きてずーっと仕事したりしてるのが幸せだなと感じるのであれば、この話はあまり刺さらない話なのかもしれませんけど。 例えばですけどパン屋さんの例で、 朝早く4時とかに起きて仕込みして、その日売り切れるかどうかも分からないままですが日々繰り返すわけですね。 しかも、今はコロナの影響もあるんで状況は良いものではないですよね。 突発的な収入の変化ですよ。 ですが、日々の作業の内容は変わることなく働けど働けどです。 このまま続けていくのもそろそろ。。。なことも少なからずパン屋に限らず飲食店の経営もされている友人にも聞きます。 だがしかしです。これは、仕方がないというしかない状況であるかもしれませんよね。 誰が予測できたか、このウィルス騒ぎですから。 ですが経営ってこういうことなんですよね。雇われている身分ではない限り、社会の変化に思いっきり影響を受けるんですよ。 ですが、盤石な経営ってそもそもないんですよね。経営のモデルは、常に変化していくべきものではないかと思うんです。 今、あるものは時間とともに陳腐化していく。 陳腐化してなくなるかと思われたものが、このウィルス騒ぎで急に需要が戻って伸びていく。という例もあるんですよね。 自分の関わりのある縫製に関して言うと、コロナ前にミシンを買う人は年々減少傾向にあって、今はもう小さな店舗でどうにかやられているミシン屋とかでした。 ですが、このコロナ騒ぎ→マスク需要→自作のマスクにミシン必要→ミシン面白いんで、もう少しプロモデルが欲しい。 まぁ、こんな流れでミシンの需要と供給のバランスが崩れて急にミシン不足になっていると聞きます。 他の業種でも、こういったコロナ前とコロナ後の需要と供給のバランスが変化してしまっているところあると思います

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