2000年代に入り、着飾るよりもより自然で普通である着こなしが流行していた。
ですが、トレンドとは繰り返してくもの。
前回のブログでも説明させていただいたが。
2020年秋冬メンズファッショントレンドはどう動く?
ノームコアとは、ファッション界から生まれた造語である。
ノームコアのノームは、normalの略のノーム。
「標準」
コアは、「核」。
合わせてノームコアとは、「究極の普通」てな具合で捉えているのが妥当でしょう。
これは、受動的に「普通」というのではなく、
能動的にあえて「普通」を選ぶというトレンドですね。
スタイルアイコンとして、故スティーブ・ジョブズが挙げられるが。
ノームコアからみる社会の未来
このノームコアのトレンド、流行かについてファッションの分析をこれから書こうということでなく、
ファッションからみた社会の姿について書きたい。
これには、わりと重要な示唆がある気がしてならない。
これまでは、年齢を重ねることことには様々な社会的な期待が伴っていた。
責任が重くなり、
成熟することが求められ、
そのかわり、老いれば老いれば悠々自適の生活を夢みることができた。
しかし、今や世代の特徴というのはあまり明確ではなくなりってきている。
世代の違いよりも、属している文化的なクラスターの違いのほうが大きくなってきている。
若くても年をとっていても、同じ文化圏であれば話は合いやすい、
同世代でも、違う文化圏に属していると会話はかみ合わない。
そういう世界で、成熟(年を重ねていくこと)への期待は消滅していく。
最近は、地方都市だと、高齢者から若者まで、同じ「ファッションセンターしまむら」の服を身に着けていたりする。
1970年代に、若者が読むコミック雑誌を大人の会社員が読むようになり、社会が驚愕したと聞いたことがある。
ですが、今やそんなこと当たり前ですよね。
何故、昔に驚愕されたのか理解に苦しいかもしれませんよね。
今は、年配の方もスマホでゲームをしたり、SNSもやったりします。
昔の人が見て感じるのなら、世界の終焉と言うかもね。
もはや個性的ではない
今までは、ひとりひとりの個性を大事にしようという時代だった。
集団に埋没するのではなく、自分の個性を打ち出す。
自分だけのファッションを身にまとい、自分だけのキャラクターを打ち立て、
自分だけの物語をつくる。
しかし、そんな「他人とは違う私」を
際立たせようとしても、それほど大きな違いは生み出せないものだ。
自分は、個性的だと思っていても、遠くの他人から見れば「まわりの人たちとそんなにかわらないよね?」
と、みえてしまうことになる。
個性的であることが、逆に「個性的なひとたち」の中に埋没してしまうという
皮肉な結果をひきおこしてしまうのだ。
つまり、今は「自分はインディー(独立系)」だと思っていても、
「個性的なひとたち」の分類に見られてしまう。
だから、「個性的なひとたち」の分類にならないために、かえって自分をべーシックにしてしまった方が良い。
個性を気取らず、
普通に着飾らないほうが、かえって個性的に見える。
だから、ベーシックに立ち返ってベーシックで行こうとする。
若いころ普通は嫌で個性のあるのもを着てきた人が、年齢とともに
ベーシックに惹かれていくのにもどこか似ている気もしなくもない。
インターネットが普及していなかったころと今とでは、個人とマスの位置関係が違ってきているのも考えられると思う。
かつては、誰も着たことがない見たことがないファッションを身につける。
ファッション好きな若者たちは一度は思ったことがある事ではなかったでしょうかね。
ノームコアには、もう少し深い社会思想的な意味がある
かつては、皆、共同体の中で生まれ、共同体の束縛から離れて自由を求め、そして自分の個性を探した。
しかし、21世紀の私たちは、自由から出発し、昔とは逆の道をたどって、安心できる共同体を探し求めている。
「私たちは、何者かになる。」
ために、旅をするのではなく、
「誰かとともにいる。」
ために旅をするようになった。
これは、新しい私たちの「自由」ではないでしょうか。
つまり、
ノームコアは、
「他人との違いを見せつけるかっこよさではなく、同じであることを認め合う新しい正統派なのです。」
かつて、個性というのは、自分のやりかたで人生を切り開いていく自由の旅だった。
90年代象徴的な名曲もある「自由への疾走」
だが、時代が変わって社会の仕組みも変わり、自由から出発する今となっては、
自由に向かうことによって、孤独になっていった。
ノームコアとはそうではない、他人との違いを追求するのではない新たな自由を求める。
自分だけが特別ではないということに解放感をもち、そこに順応することが共同体への帰属なのである。
ノームコアとは、より平和的な生き方への道のりなのだ。
共同体からの圧政から逃れ、独立した個性であることの自由はもう終わった。
人々と同じ感情を持ち、他人との見た目上の違いを求めず、
それによって多くの人とつながっていく。
そういう新たな自由の感覚が、今なのではないでしょうか。