ランニング日記2026-01-04
あけましておめでとうございますございます。 年明け初ランニング。 年末に転倒して、腰のあたりに違和感ありで、一週間くらい様子見て、今日復活! 大きな通りは走るが、小道、住宅地の道は無理に走らない。転びたくないからね。 オープン間もないスタバに一番乗りのコーヒーは、なぜにこんなに美味しいのでしょう^_^
あけましておめでとうございますございます。 年明け初ランニング。 年末に転倒して、腰のあたりに違和感ありで、一週間くらい様子見て、今日復活! 大きな通りは走るが、小道、住宅地の道は無理に走らない。転びたくないからね。 オープン間もないスタバに一番乗りのコーヒーは、なぜにこんなに美味しいのでしょう^_^
4日目。 明日から、ぼちぼち本格的に動いていく。 社会も暦の上では普通の月曜だし、みんなもそろそろエンジンかけ始める頃だろう。 今日は、僕が「1人社長をもう少し続けてもいいな」と思わせてくれる記事を読んだ。 これ。 「タイパ」を追う人ほど、キャリアで損をする。 https://npx.me/s/01ircdzp この記事の中でAIについて触れている部分があって、そこにすごく共感した。 僕は人件費を払って大きなチームを動かしているわけじゃない。 でも、AIを最大限に活用した経営って、ぼんやりだけど“いいな”と思っていて、 だから毎日なんらかの質問をぶつけてみたりする。 全くだと思うけど、忖度ない答えを出してくる。 まぁ、そう思うように受け止めている。 ただ、手元ではアナログな手作業で衣装を作るという、 なんとも独特な仕事をしているわけで。 デジタルとアナログの両極端みたいな働き方をしているけど、 この時間を繰り返すことで、 いつか未来に何か見えてくるんじゃないかと期待している。 だから毎日、こうして言語化を繰り返している。
昨日も書いたけど、平均的な仕事をしていて、それがどれだけ自分の満足につながるんだろう。 毎日やるべき仕事はもちろん必要だし、むしろ積極的に見つけて取り組むべきだと思う。 でも、その日常に慣れて「とりあえずこなせてる自分」でいたら、成長なんてしないよなと。 これは賛否あるだろうけど、 挑戦こそが未来の自分を守る最大のディフェンス だと本気で思ってる。 ついつい他人や友人の成功を見て、 「いいなぁ」とか 「あいつは◯◯だから挑戦しやすいんだよ」 なんて評論してしまうこともあるけど、あれは本当に愚かだ。愚の骨頂。 今できないことが、未来の自分に突然できるようになるわけがない。 だから、今からやるしかない。 失敗は経験。 経験がないということは、次の選択肢を持つ技がないということ。 だから今日も自分に問う。 日々の慣れた仕事で満足していないか。 人から与えられる仕事だけで満足していないか。 そして最後に、こう問いかける。 今日、お前は未来の自分を守るためにどんな挑戦をしたんだい。
新年を迎えて2日目。 息子と風呂につかりながら、ふと頭に浮かんだことを言語化してみる。 誰のためでもなく、自分のために言葉にすること。 その大切さに、ようやく去年あたりから気づきはじめた。 「売れそう」とか「今なら需要あるかも」とか、 経営者目線で考えるのは確かに必要だ。 でも、自分はそこまで“経営者らしい経営者”ではないのも事実。 他の人と同じことをしていたら、 結局は消耗戦になって疲れ果てるだけだ。 本音を言えば、 アート寄りのデザインやビジネスに関わって、 人を満足させたい。 そこに自分の喜びがある。 じゃあ、何から始めればいいのか。 資金は潤沢じゃないし、 生活のためにも会社を維持するためにも、 日銭を稼がないといけない。 日銭の仕事と、ビジョンにつながる仕事。 この両方を同時にやるのって、 アクセルとブレーキを同時に踏んでるような感覚になる。 でもさ、 他の会社や他の人と似たようなことをしていて、 その先に本当に未来はあるんだろうか。 自分の未来をつくるのは、 やっぱり“自分にしかできないこと”を磨くことなんだろうなと、 湯気の中でぼんやり思った新年2日目の夜。 じゃあ、自分はどうしたいのか。 どう生きたいのか。 ここを曖昧にしたまま走っても、結局どこかで息切れする。 日銭の仕事は大事だし、生活の基盤でもある。 でも、それだけを追い続けていたら、 「自分じゃなくてもいい仕事」ばかりが積み上がっていく。 それは、僕が望んでいる未来じゃない。 じゃあ逆に、ビジョンだけを追いかけて、 収入のことを無視して突っ走るのも現実的じゃない。 家族もいるし、会社もあるし、責任もある。 この“二つの車輪”をどう回すか。 ここが、ひとり社長の永遠のテーマなんだと思う。 でも最近、少しだけ見えてきたことがある。 「日銭の仕事」と「ビジョンの仕事」は別物じゃなくて、 つなげ方を工夫すれば同じ道に乗せられるんじゃないか。 例えば、 日銭
毎年のお約束だが、年始につぶやいてる? 「今年は。。。」なんだよね。大きな変化もちろん良い方向での変化を望むのは皆同じなんだよね。 ただね、毎年同じように欲望だけ持っても変化につながらないのは、毎年の行動にそんな変わりないからなんでは? 僕は今年で50歳を迎えますよ。そんな年の初めだからいつもの元旦とは違う行動から始めてみることにした。 まずは、4:30起きしてみたよ。 そしてこのブログを書き始めています。 今日から2026年が始まるね。 今年は、とにかく忙しくしたい。 ネガティブなことを考えて怯えてる暇なんてないくらい、 仕事がどんどん入ってくる一年にしたい。 そのためには、自分の持っているスキルで お客さんや社会の欲求をどう満たせるか。 ここをちゃんと見極めることが大事だと思う。 「自分はこれができるから、欲しい人は集まってくるはず」 …なんて、戦略もなく待ってるだけじゃ現実は変わらない。 去年までの自分がまさにそうだった。 だから今年は、 去年の“よくなかった思考”や“潜在意識のクセ”を改革して、 仕事を頼みたくなる人になることを徹底していく。 そしてもう一つ大事なこと 社会のニーズを察知すること。 これが本当に大事だと最近しみじみ思う。 「自分はこれができる」 この視点だけで突っ走るのは危ない。 ちゃんと “社会が今なにを求めているのか” と照らし合わせる作業が必要なんだよね。 売れてる人、仕事を頼まれるアーティスト、 個人事業で食べてるクリエイターたちも、 みんなこの“すり合わせ”をやってる。 アート寄りの製品やサービスだって同じで、 戦略もなく「好きだから作る」だけで進むのは、 正直ギャンブルに近い。 自分のスキル × 社会のニーズ この掛け算ができて、はじめて仕事になる。 2026年はここを徹底していく 今の自分の状況は、過去の自分の行動の積み重ね。 だったら、これから未来を良くする行動を積み重ねていけば、 違う未来が訪れるはず。 自分の持ってるスキル、人脈、環境。 &nbs
2025年もいよいよ終わりを迎えようとしています。 今年一年、私の衣装づくりを信じてご依頼くださった皆さまへ、改めて深く感謝をお伝えしたく、この長いメッセージを書いています。 私は、衣装を作るという仕事を通して、お客様の人生の一部に触れています。 舞台に立つ瞬間、リンクに立つ瞬間、誰かに見てもらう瞬間。その大切な場面に寄り添う一着を任せていただけることは、当たり前ではありません。 むしろ、私にとっては奇跡のようなご縁です。 今年も継続してご依頼くださったお客様、そして新しく出会ってくださったお客様。どちらの存在も、私の仕事を支え、広げ、深めてくださいました。 皆さまが「洋さんにお願いしたい」と言ってくださることが、どれほど私の背中を押してくれているか、言葉では言い尽くせません。 私は、効率や大量生産とは少し距離のある世界で仕事をしています。 時間も手間もかかるし、時には自分の未熟さに悔しさを覚えることもあります。 それでも、私がこの道を選び続けているのは、「代わりの効く仕事ではない」と信じているからです。 お客様の想い、身体のライン、表現したい世界観。それらを丁寧に受け取り、形にしていくプロセスは、誰かが代わりにやれば同じになるものではありません。 そして私は、ただ期待に応えるだけでなく、良い意味でその期待を超えたいと思っています。 「こんな表現があったのか」 「自分では思いつかなかったけれど、すごくしっくりくる」 そんな驚きや喜びを届けられるような、美しいものづくりを追求していきたいのです。 もちろん、私はまだまだ発展途上です。技術も表現も、もっと磨ける。もっと深められる。 そう感じる場面が、今年もたくさんありました。けれど、その“未完成さ”こそが、私の原動力でもあります。 完成してしまったら、成長は止まってしまう。だからこそ、これからも学び続け、挑戦し続け、皆さまにより良い作品を届けられるよう努力してまいります。 2025年、皆さまからいただいたご依頼、ご相談、ご感想、そして温かい応援の言葉。そのすべてが、私の仕事を支えてくれました。 心から感謝しています。 来年も、どうか変わらずお付き合いいただければ幸いです。 皆さまの大切な瞬間に寄り添える一着を、誠実に、丁寧に、心を込めてお作り
今日は年末休業のせいか、街全体がゆっくりしてる気がする。 いつもは5:30には起きてるのに、今朝は6:30に起きても「まだ早いか?」って思ったくらい。 でも、休みだからって仕事が止まるわけじゃない。 請けてる以上は、どう納品して、どう未来につなげるかを考えるのも仕事のうちだよなと。 昨日も考えてたけど、 未来に起こす仕事を生み出す行動をするかしないかなんて、結局は自分次第。 現状、めちゃくちゃ満足のいく依頼ばかりってわけでもないし、 会社の資金が潤沢に回ってるわけでもない。 この現実は忘れちゃいけない。 でも、だからって失敗を恐れて動かないのは、逆に損だよなとも思う。 「待ってればそのうち仕事が来るかも」なんて口を開けてても、 依頼も相談も降ってくるわけがない。 待ってるだけじゃ会社は発展しないし、自分も苦しいだけ。 やっぱり 「一流は仕事を生み出す」 これができて初めて、独立した経営者なんだろうな。 クリエイターであり、経営者であること。 まずはここをちゃんと達成していこう。 今の自分の生き方は、過去の自分が選んできた行動の積み重ねにすぎない。 だったら、これから未来を良くする行動を積み重ねていけば、 これまでとは違う未来が訪れるはず。 そう思わない? 自分の持ってるスキル、人脈、環境。 全部活かして、未来がよくなる行動を今日も積み重ねていこう。
子どものフィギュアスケート衣装をつくる中で、ずっと悩み続けてきたテーマがあります。 それは「値付け」です。 相場に合わせるべきなのか。 お客さまの事情に寄り添うべきなのか。 技術や経験に見合った価格を貫くべきなのか。 この問いは、僕にとって単なる“お金の問題”ではありませんでした。 最近になって、ようやく気づいたことがあります。 値付けは、パーパス(存在意義)と深く結びついている。 むしろ、パーパスをもっとも正直に映し出す鏡だということ。 パーパス経営とは「何のために存在するか」を決めること 以前、僕は自分の会社のパーパスについてブログを書きました。 衣装づくりを通して、何を守り、何を未来に渡したいのか。 その軸を言語化したものです。 これが、僕のToecrosでのパーパスです。 値付けは、そのパーパスを“社会に翻訳する行為 パーパスが理念だとしたら、 値付けはその理念を現実に落とし込むための“実装”です。 どれだけ美しい言葉を掲げても、 値付けがそれに反していたら、パーパスは崩れてしまう。 だからこそ、 値付けはパーパスに対する覚悟の表明なんです。 技術を守るためには、適正価格が必要 僕の衣装づくりは、ただ縫うだけではありません。 こうした“考える時間”も、作品の一部です。 そして、 この思考の深さは、効率化できない。 大量生産にも置き換えられない。 だから、適正価格は技術を守るための最低条件。 パーパスを守るための必然でもあります。 時代に逆行しても、守るべき価値がある 今は効率や安さが求められる時代です。 手仕事に時間をかけることは、時代錯誤に見えるかもしれない。 でも、僕はそれでいいと思っています。 なぜなら、 衣装づくりは“未来へ繋ぐ技術”であり、 子どもたちの表現を支える“芸術”だから。 パーパスを守るためには、 時代に逆らう勇気も必要です。 理解してくれるお客さまがいることが、何よりの支え ありがたいことに、 僕の価値観を理解してくださるお客さまがいます。 「この衣装じゃなきゃダメなんです」 「この子のために、ここまで考えてくれてありがとう」 そんな言葉をいただくたびに、パーパスと値付けが一本の線でつながる感覚があります。 僕は、ただ衣装をつくっているのではなく、 その子の人生の一瞬を形にしている。 その事実が、値付けの迷いを少しずつ溶かしてくれます
今日は、あらためて「ブログを書く意味」を考える日にしようと思った。 自分を知ってもらうため。 自分の仕事を欲しいと思う人に見つけてもらうため。 まずはそんな理由が浮かんだ。 でも、他の人はどんな理由でブログを書きはじめているのだろう。 承認欲求かもしれないし、記録かもしれないし、誰かの役に立ちたいという気持ちかもしれない。 僕自身は、何度もブログを書いてはやめて、また書いてはやめて…その繰り返しだった。 病院の待合室で気づいたこと 最近、長い時間を病院の待合室で過ごす日があった。 ふと周りを見渡すと、老若男女ほとんど全員がスマホの画面を見ていた。 何を見ているのかはわからない。 でも、少なくとも「何かを検索する」という行為は、誰もが日常的にしているはずだ。 その光景を見たとき、「ブログを書いてはやめていた自分の習慣、そろそろ改善すべきだ」と感じた。 ブログにも、ちゃんと“ニーズ”がある。 誰かが検索したとき、 誰かが困ったとき、 誰かが何かを知りたいと思ったとき、 そこに自分の言葉が届く可能性がある。 ブログは「誰かの検索に引っかかる自分」になる行為 ブログを書くということは、 インターネットの広い世界に「自分の声」を置いておくことだ。 それは、・自分の考えを整理する行為であり・未来の誰かに向けてメッセージを残す行為であり・自分の存在を“検索可能”にする行為でもある SNSのように流れて消えるものではなく、 ブログは積み重なっていく。 だからこそ、やめてしまうのはもったいない。 僕がブログを書く理由は、もっと増えていい 最初は「自分を知ってもらうため」だった。 でも今は、もう少し違う意味も見えてきた。 ブログを書くことは、 自分の考えを言葉にして、誰かの余白に届けるアート なのかもしれない。 言葉だけで世界を立ち上げる文学のように、 読む人の頭の中にそれぞれ違う景色が生まれる。 そんな表現ができる場所が、ブログだ。誰かの余白について前回ブログにまとめてみました。良ければ読んでみて下さい。 ぼくの仕事に興味あるかたはどうぞ 僕の、実際の仕事はとてもアナログです。 衣装づくりという、人間的な欠如や不完全さを抱えた営みの中で、 「人が作るものに何が魅力を持たせられるか」 を考えるのが好きなんです。 もし、衣装づくりや“人の手で生まれる表現”に興味があれば、ぜひこちらでつ
Ever since I began creating figure skating costumes for children, one question has followed me everywhere: How should I price my work? Should I follow the market average? Should I adjust the price based on each client’s situation? Or should I set a price that reflects the years of skill and experience behind my work? I still struggle with this. But there is one thing I know for certain: The value of the techniques I’ve built over the years—and the meaning of creating a truly one‑of‑a‑kind costume—cannot be measured by numbers alone. Skill Carries Time Within It When I create a costume, the value is not only in the hours spent sewing. It’s also in the time spent thinking: This “thinking time” is part of the work. Part of the art. I don’t put my emotions directly into the price. But my emotions inevitably seep into the costume itself—and I believe they should. Even If It Seems Old‑Fashioned, There Are Values Worth Protecting We live in a time wh