正確には二回目なんで読み直ししました。テレビでのコメントもなるほどなぁ~。と日々関心させてくれます。林先生です。
個人的にはファンかも知れません。これ以外にも数冊著書を読ませていただいています。
僕のような凡人は、先生と呼ばれるような賢人の知恵や思想、全ては理解して汲み取れるものではないとは思いますけど、彼らの著書から何か自分にも生かせるアイディアはないものかな?と。
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「好き」を仕事にすることの理解
そもそも、この響きって若いころからどこかで誰かがいつもお説教みたく言っていたことでないでしょうか?
少なからず自分も20代のころには、飲み屋とかで諸先輩やおやじくらいの年齢のマスターに言われた経験はあります。
ですが、この著書に出会って少しこの意味の捉え方を変えてみるのも悪くはない。というか、年齢も年齢だし自分なりにも仕事に対して思想、原理がないことには意味も分からず与えられた仕事を淡々とこなしていく日々になっていくことでしょうね。
気づけて良かったと。
今の、この社会の状況だから仕事があるだけ幸せです。的に捉えなくてはならないというのも一理ありますけど。
そもそも、自分が楽しんでなければ仕事には内容がお客にには響かないと思っています。
この本から学んだこと
この本の冒頭にある謹言です。
「うまくいく仕事が、天職。」
って、すごく良い言葉だなって思いました。
先にも述べましたが、「好きを仕事にする」って。
僕自身も好きを仕事にすることを目指して今があるんで、その風潮を煽る立場の人間になるのかも知れません。ですが、
好き嫌いに拘りすぎると仕事が与えられるということに関して感謝を得られない場合もなくはないと思うんですよね。
好きな仕事の中にも嫌いな部分って少なからずあると思うんですよね。
対して嫌いな仕事の中にも良い部分ってあると思うんです。
だから、好き嫌いに拘り過ぎなくても良いんじゃないかな?って思えるんですよね。
嫌いかなって思っていた仕事でも、やってみたらこなせてた。というのであれば、その仕事に自分の適性があるということになりますよね。
世の中、周りの人に求められていることになると思うんですよ。
なので、積極的に好きな仕事、好きな仕事って思わないようにしてみるようにしているんですよ。
なので、嫌だなーって思わないようにするようにしてるんです。
嫌だなーって思いながらした仕事って、ミスが出て損害が出たりして周りの人に迷惑をかけてしまったりするじゃないですか。
嫌っていう気持ちが、パフォーマンスを落とす。
ですけど、好きな仕事でも「好きだ好きだ」と思い続けることは中々難しい。
自分自身も人間としてもアップデートあるだろうし、年齢的に自分の仕事を見つめ直す時期も訪れると思うんですよね。
ですから、「できる仕事、うまくいく仕事が天職。」
この言葉が、今の年齢になってくると刺さる謹言です。
「やりたくない仕事を全力でする。」
この言葉にも、感銘できるかと思います。この本では、林先生がご自分のエピソードを踏まえ解説してくれているのですけど。
予備校講師の仕事は、そもそもやりたくない仕事であったそうで。
ですが、この仕事はそんなに頑張らなくてもうまくこなせる仕事だったそうです。
この仕事を一生懸命こなしていくことで、以前には好きだしやりたかった仕事、できなかった仕事も、
この好きではないけど、うまくこなせる仕事をやってくうちに、やりたかった仕事もやらせてもらえる機会ができてきたというのです。
やりたくない仕事にも一生懸命やった先に、意外とやりたかった仕事の入り口があるのかもしれない。
やりたくないことを無理にでもやりなさいっていう意味のことではなくて、これは、物事には段階があるんですね。
例えばですけど、サッカーの選手とかでもいきなり世界大会に出られるようにはなるわけではないじゃないですか。
仮にですけど、まだJ2とかもしくはJ3とかでプレーしている選手がそういった世界レベルの試合に出たとしても、自分の実力の足りなさを痛感するのは素人の僕らでもわかるじゃないですか。
やっぱり、世界大会レベルの選手になるには地方のリーグ、J3、J2、J1と段階を踏んでそれなりに認められてはじめてって感じじゃないですか。
何事にもですけど基礎になることってのが大事になるじゃないですか。
基礎の鍛錬ってぶっちゃけ好きな人っていないじゃないですか。
これ、スポーツに限らず仕事にしても同じじゃないですかね。
いきなり、基礎的なこともできないのに試合にでるって。
出るくらいならまだしも、結果なんて大体想像できるじゃないです。
なので、この本で感じられるのは仕事の基本中の基本。
お客に価値を提供するという行為に関して、職種は問わずに、この基本になることの積み重ねをすることがいかに後々の仕事に高価を発揮していくのかがというメッセージが隠されているんじゃないですかね。
お金は使った分が財産になる
ここも、謹言じゃないですかね。この本にある。
通常では、使えばなくなるものだから、いざというときの為に貯めておくものだと子供のころから、普通の家庭に育った人には常識的に言われてきてますよね。
ですが、こんなメッセージがあります。
「お金は使った経験が内なる財産になる。」
稼いだ分=自分の財産
こう思いがちでないですか、例えばですが起業家の方って10億ってお金はもってなくても
色々なところから借りてきたりして10億円をつかって事業を作り動かしていったりする。
だから、資産総額10億円の起業家ってそういうことかって。このメッセージを見て思って。
自分の思考が全く柔軟じゃないということに気づかされましたね。
ここでの学ぶことは、稼いだお金を貯金していくのではなくて、自分の成長の為に使う投資にしていくだとか、
社会の為に使う?もしくは、
友人、知人の役に立つだろうことに使う。こういう行為で、財産持ちにつながるものなのだと関心をもち、
自分の子供には伝えてあげたい結構重要なことなんだと。
飲み会で「昔はこうだった」
中年、あるあるですが、この件に関して最高の教えじゃないですかね。僕個人の意見ですけど。
僕が今すぐやめたほうがいい習慣とかんがえるものの一つが、「惰性でコミュニケーションをとること。」ですね。
特に話すこともないのに惰性でやりとりするメールは時間の無駄でしょう。人生における時間は有限なのに、惰性で過ごしていればなくなる一方。
無料だからいいやと思うかも知れませんが、お金では絶対に買うことができない時間が「溶けている。」と思うべきです。
生身の人間相手でも惰性の付き合いは感心しません。「いつもの店で、いつもの仲間といつもの話。」がはじまったら帰った方が良いと思います。何も得るものがない時間ですから。
飲み会で「また同じ話始まったな」と思ったら、思い切って直ちに帰りましょう。
女性には案外そういう習慣が少なく、もっと政治的に動きますね。
あの姿勢を見習うべきです。
本文「林修の仕事原論」より引用
流石ですよね。この状況相手が先輩たちとかだと非常に席を外れにくい。年に一回二回くらいならまだ我慢はしますが、僕の場合。
ですが、こんな薄情な奴に思われるのもなんか嫌なんで僕だと最初から予想できそうな会であれば、不参加にしていますよ。
付け加えて僕の持論ですけど、大概の飲み会の席での仕事の約束は、果たされることは殆ど無いに等しいと思っていました。
この本でも、学ばせてもらうことができましたが、親睦を深めていく、未来の可能性を話し合うとかの意味での飲み会は意味があります。
ですが、こんな有名な先生も考えていたこの事例。
結構、これから活かせるものだと思いませんかね?
生産性重視です。過去には戻らない。
という感じで、最近読み返してちょっと修正しなきゃな。
なんて思わせてくれる言葉に気づかされるものです。