プペル見てきたよ

「えんとつ町のプペル」から現代社会と照らし合わせて何かを感じて書いてます。

映画の内容についてはネタバレしちゃうしから、書けないですが。

自分なりに回想をしているところなんですが、

新しいことをやる人、新しいことに向かう人、

新しいことを言い出す人というのはいつだって、社会から叩かれますよね。

ある意味カリスマ性を放つのはこういうキャラです。

おそらくその理由は、以下の2つだと思うんです。

・希望を語れる
・反対勢力に屈しない

反対勢力というのは、社会であり、人であり、改革を起こすことを邪魔するものです。

これを貫くには、強力な信念が必要です。

映画の登場人物であってもいいのですが、人が見ないものを見れる人、道のない場所を歩ける人には、ファンがつきますよね。

そして、やがてそれを
応援する人。
助ける人。
ガイドする人。
が現れます。
これはいつの時代もそうなんじゃないのかなって。

で、それとは対照的な人たちがいて、

希望を失う人、足を引っ張る人、邪魔をする人、変化を妬むもの、

信じたいのに信じるのを恐れている人が確実に出てきます。
もう現実そのものです。

自分は、おそらく映画に出てくる「アントニオ」あたりの位置の人間かな?って。

そんな、見方で、同じく映画を見た人とディスカッションしても悪くはないと思ったり。

文字で書くものも、絵で表現するものも、メッセージがあるものは必ず発信者の何かが入るので、そんなことを考えながら見てました。


僕は別に社会学に精通しているわけじゃないのですが、
システムというのは常に「維持」の性質を持ち合わせているんじゃないのかなって。

だから、そのルールの均衡を崩そうとするものを出る杭は叩く方式でもぐら叩きするわけで。

僕もあまりルールは潔く守る方じゃなく、先生や上司からいつも目を付けられる方でした。。まあそれはどうでもいいのですが

映画に出てくる「星」というのは昔からタロットカードにもある様な「希望」を象徴する光です。
光には実態がないわけです。ですので、それはただの「想像」かもしれません。それを信じていいのかどうか、曖昧なわけです。
それと対照的に煙突から出る煙という名の「闇」が映画では描かれています。
光と闇のシンフォニー。



光や真実から分け隔てるものが煙なのか、壁なのか、それはなんでもいいんですが、

この社会には、言わなくてもわかるかと思いますが、

「大人しくしていろ」とおさえつける人間と、
「自由が欲しい」と行動する人間がいるわけです。





わたしは「自由」の方が好きです。

そしてその行動の代償にはおそらく



「変化」


だと思うんです。
これと仲良くなれるのかどうか。

基本的に、人間の脳は変化を拒絶する傾向にあると聞きます。

年齢が高くなるとより変化をめんどくさがる。


氷が溶けて水になれる様に、柔軟になれるのか。

水も水流がましたらそりゃあ岩も砕けることを信じられるのかどうか。

これの克服でしょう。

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